レストランKC's |
朝ごはんは、歩いて数分のところにある「KC's」(ケーシーズ)に行ってみました。ここはカトマンドゥでも評判のいいレストランです。タメルの中心地にあり、2階建ての店内は意外と広い感じです。
これが70Rs.の朝食セット |
Benjamin (=^o^=)
トリブヴァン国際空港 |
チベット人の風習であるカタを首に巻いてもらい、10時半にラマさんのオートバイに二人乗りで、空港まで向かいました。朝からどの通りも活気があふれているカトマンドゥです。ヒンドゥー教の寺院のパシュパティナートの入口から空港へ向かうなだらかな坂を下っていきました。空港入口を左折して、ターミナルへの坂をのぼると、中央に噴水と管制塔、右に国際ターミナル、左に建設中の国内線ターミナルが見えました。
管制塔の脇の駐車場にオートバイを停めて、国際線ターミナルビルに入ました。電光掲示板を見ると、「KB108 PARO 1505」と表示されています。ありゃ。手元のチケットには12:30だ、と書かれていたので11:00までにチェックインしようと空港に来たのですが、2時間35分も遅い時間。「DELAY」の表示もないので遅延しているのではなくて、どうやらもとから遅い時間のようです。
念のため、カウンターの左奥にあるロイヤル・ネパール航空のオフィスに行って確認してもらいました。空港のコンピュータでも確かに15:05出発ということなので、まぁ、さっさとあきらめて、時間をつぶすことにしました。とりあえず、軽くネパール定食のダルバートでも食べようということでまたまたオートバイでカトマンドゥを取り囲んでいるリングロード脇の小さな町の食堂へ向かいました。
リングロードは、カトマンドゥの町の中心部を大きく囲む道路です。空港は、リングロードのすぐ外側にあります。
Benjamin (=^o^=)
ラマさんのバイク |
停まったところにどうやら食堂はあるらしいのですが、看板もなく、どこだろうと思っていると、ラマさんが民家の入口のようなところへ入っていきます。ダルバートという豆スープ(ダル)、ご飯、カレー風煮込みのネパール定食を、今回はじめて、手で食べてみることにしました。まぁ、時間もあるし食べるのが遅くても大丈夫でしょう。一応、店の外にあるポリ容器に入っている水(これは、ふ、不安だ…)で石鹸を使って手を洗いました。水は念のため、ミネラルウォーターをお願いしました。
カレーを適当にご飯にかけて食べます。カレーは2種類。野菜カレーとマトンカレーです。どちらも比較的マイルドな味で、おいしい。特にマトンカレーは個人的にとても好きなのでした。
ぼそぼそと、ばらばらになるご飯をなんとか手にすくって食べていると、ご飯とカレーを店の人が追加してくれます。ラマさんはあたりまえですが上手に食べ、追加のご飯も平らげていました。自信はありませんが、ご飯を追加してもきっと食事代は同じなんだろうと思います。
Benjamin (=^o^=)
飛行機を見ている若い僧たち |
ドゥルック・エアーのカウンター |
「航空会社預けの荷物は1つ」と係員に申告すると、荷物にタグをつけてくれました。ネパールのトリブヴァン国際空港では、預ける荷物も自分で税関のところまで運ばないといけません。X線のチェックに通し、空港職員に荷物の詳細を聞かれながら、詳細をチェックされました。ここではほとんどの荷物が開封チェックされるようです。預けた荷物をちゃんとドゥルック・エアーに載せてくれるんだろうか、と不安になりつつも、2階の出国手続きのカウンターへ。2階の入口では警備員がパスポートと搭乗券をチェックしていました。
Benjamin (=^o^=)
空港の待合室 |
出国手続き後、X線検査を通って待合室に入りました。インド方面へ向かう人がたくさん待っていて、広い待合室もちょっとざわついた感じです。2階の待合室には出発便の時刻がディスプレイされ、タイ国際航空のエグゼクティブラウンジ、免税店が2カ所、ホリディインの簡単なスナック、洗面所、電話があります。免税店はスナックの反対側の奥の方に新しいものが1995年に開店していました。ゲートへの出口は1カ所だけで、ゲートが開いたときには出口の上のところに便名が書かれたプレートが掲示されます。
ドゥルック・エアーの便が出発する時刻まで、待合室の席に座ってちょっとだけ、うとうとしていました。ふと気がつくとすでに駐機場の端にはドゥルック・エアーの飛行機がちょっとだけ見えます。もうデリーから到着しているようです。この便は、デリーを出発してカトマンドゥを経由してパロに向かう便なので、カトマンドゥでの着陸時間は長くはありません。すぐに機内持ち込みの荷物が持てるようにして待っていると、ドゥルック・エアーのカウンターにいたブータン人らしき人が出口のところにやってきてゲートの方に向かいました。私もすかさず搭乗券を出口の係員に見せ、確認してからゲートへの通路へ出ました。ゲートにはバスが止まっていて、前のブータン人が乗り込みましたので、「パロ?」と訊きながら搭乗券を係員に見せて私もバスに乗りました。後ろから、何人かパロまでの乗客が乗り込んできました。カトマンドゥからの乗客は15人ほど。72人乗りの飛行機の混み具合はどうなのでしょうか。
Benjamin (=^o^=)
ドゥルック・エアー機へバスで向かう |
機体後部にはタラップがあり、バスから降りてタラップへ向かいました。ジェットエンジンが頼もしい小柄な機体はとても綺麗でした。カトマンドゥから乗り込むのはそれほど多くないのになかなか前に進まないのは、座席の空きを探しているからで、ようやく機内に乗り込むとスチュワーデスが迎えてくれました。
機内で席を探す |
席についてしばらくすると、スチュワーデスが機内の安全設備の説明を英語ではじめました。ネパールの国内便もそうでしたが、ビデオ設備はないので、スチュワーデスが、酸素マスクなどの実物を使っての説明でした。それらの実物も座席の上の荷物入れに入っていたりします。機内サービス用のコップなども入っているようです。
ドゥルック・エアーのスナック |
水平飛行に移ると、スナックのサービスがありました。デリーからの客にはすでに食事のサービスがされていたようです。ブータン名産のオレンジジュース(ブータン製とは思うけれども、真偽は不明)をいただき、フルーツケーキとサンドイッチの入ったスナックのうちフルーツケーキだけ食べました。セット内容といい、味といい、ネパール国内便とまったく同じスナックだと思います。話には聞いていたものの、ちょっと寂しいスナックかも。
Benjamin (=^o^=)
機内には、「タシデレ(Tashi Delek)」という機内誌が座席の前ポケットにありました。機内誌があるという話は聞いたことがないことと、このタシデレ誌の序文に「It
is honour that the airline's first in-flight magazine, Tashi Delek, is being released as a commermoration of His
Majesty the Kings birth anniversary.」と書かれていて、現国王の「ジグミ・シンギ・ウォンチュック(Jigme Singye Wangchuck)」は1955年11月11日にティンプーで生まれていますから、タシデレ誌の「NOV-DEC
1995」の号が最初なのだと思います。通番が振られていないので自信がないのですけれども。
機内誌はJALの関係会社であるIndo Japan Air Service Pvt. Ltd.が編集・発行しています。定期購読もあり、1500Nu./Rs.または65米ドルです。Indo
Japan Air Service(インドのデリーに本社があります)に申し込みます。
タシデレ誌のNOV-DEC1995の号は、次のような内容です。
結構気合いの入った内容で、次号以降ネタが続くのか、ちょっと余計な心配をしてしまいました。全カラーページでとてもきれいです。
機内では、免税品販売でたばこなどを買ったりする人がいました。ドゥルック・エアーのロゴ入りビニールバッグに入れて渡されていました。ビニールバッグだけ欲しい私でした。機内サービスはタイ国際航空と提携しているので、座席前のポケットにあるくず入れはタイ国際航空のロゴ入りだったりします。
Benjamin (=^o^=)
無事パロ空港へ到着 |
一つ後ろの列の20歳くらいの青年3人組は、さっきまで私のビデオカメラに向かっておどけていたりしていたのですが、降下をはじめると一緒に怖がりながら笑っていました。2回目の急降下があり、まわりの山が両側の窓のすぐそばに見えてきました。それでも高度をぐんぐん下げながら谷の中を大きく右旋回しました。右側の尾根がややもするとぶつかるのではないかと思える近さで、木々の枝がはっきり見えるほど。左右に少しふらつきながら民家がちょっとだけ見えてきました。機体がまっすぐになるとすぐに、パロの空港に音もなくといった感じで滑り込みました。ブータン、パロに到着。
まだ青空が広がっていますが、そろそろ夕方になりそうなそんな感じでした。後部のタラップから外に出たときの空気はひんやりとしていて、さわやかな感じです。思っていたよりも寒くはありませんでした。ほっとして、空港のターミナルに向かいました。ターミナルの建物はブータン風建築の平屋建てです。ブータンの建築物で平屋というのはあまりなく、だいたい2階、3階建てなので、ちょっと珍しい感じです。待合室を通り抜け、入国審査へ進みました。
「PASSPORT」とだけ書かれた木の枠で囲まれたブースに係官がいました。スイスから来たという女性と話をしながら順番を待ち、パスポートと入国カードを提出すると、帳簿を調べたあとスタンプを押してくれ、隣のブースで入国の手数料20米ドルを払うよう指示されました。手数料を払うとたくさんのブータン人が並んでいる入国審査官の列に行くよう指示されました。
長い列の後ろに並んでいると先にチェックをやってくれて通してくれました。次に荷物受取がありますが、自分の荷物が外のカートに無造作に乗っかっています。一旦、建物の外に出て、滑走路脇のカートまで取りに行き、税関の列に並びました。この税関が大変で、たくさんのおみやげをかかえたブータン人の後に並んでいるとなかなか列が進みません。それでも税関の申告書とパスポートを出し、簡単なチェックの後、申告書をパスポートに挟んで返してもらいました。この申告書には例えばビデオカメラや、一般のコンパクトカメラ、パソコンなどの高価な製品を間違いなく、国外に持ち出すという証明なので、なくさないようにしないといけません。
空港の出入口 |
ブータンでは、自動車に乗ることができるのは政府の要人など特権階級と、旅行会社やタクシーやバスなどの職業ドライバー、一部の金持ちに限られているようです。そのため、他人の車に便乗するということは日常よくあることのようでした。
Benjamin (=^o^=)
夕暮れが迫るパロの谷を、すれ違うのがやっとという幅の舗装道路を快適に走ります。「ブータンのハイウェイです」とガイドのタン氏が言いました。パロからチュゾムまで27キロ。あたりは急に暗くなってきました。チュゾムは国道1号線の交通の要所で、パロからティンプーへ向かうときのチェックポイントがあります。ここは、空港のある谷パロ、パロの西にあるハ、南のインドとの国境の町プンツォリン、そして首都のティンプーの4つの町からの道路が交差するところです。
チュゾムでは、深い谷にパロ・チュ(チュは川、水という意味)とティンプー・チュが交わっています。谷には橋が架かり、橋を渡ると国道1号線と、チェックポイントがありました。チェックポイントにはゲートがあり、ガイドのタン氏とドライバーのチミー氏が車を停めて届けに行きました。もうあたりは真っ暗になっていて、時折通るトラックが見えるだけでした。プンツォリンからティンプーに至る国道1号線は1962年に完成しました。
チェックポイントを過ぎると、あたりは漆黒の闇になりました。しばらく行くと右手の丘の上に明かりが見えました。発電所だということです。送電線が薄明かりの中に見えました。パロからティンプーまでは2時間弱、距離は65キロですが、発電所を過ぎたあたりからはまわりになにも見えずカーブが続く道路があるだけで、少しまどろんでしまいました。
Benjamin (=^o^=)
急に右に車が曲がったので目を覚ますと、オレンジ色の街灯と時計台のある広場に入ったところのようでした。車はすぐに停まり、「ホテルです」とタン氏がいいました。ティンプーの滞在中に泊まる予定のホテル・ドゥルックです。このホテルはティンプー市街にあり、1983年頃開業した比較的老舗です。ブータン最大の財閥であるタシ・コーポレーションの経営なのだそうです。プンツォリンとパロにも同じホテル・ドゥルックがあります。今回はパロのホテル・ドゥルックにも泊まる予定です。ブータンでも最高級ホテルの一つですが、それほど格式張った感じではありませんでした。
インドビールで、これからお食事! |
左がカレーで、右はチャーハン |
部屋の数は地球の歩き方によれば24室。4階建てで、私の部屋は3階です。通りの裏側に面していて、窓からは、荒れた感じの裏通りとティンプー・チュを挟んで対岸の山が見えます。どちらかというと表通りに面している方がいいな、と思いました。部屋はツイン。ソファーセットと、デスクがあります。バスタブ付きの風呂。暖房用にインド製の小型電熱ファンヒーター。特にこれといったものはありませんが、快適でした。
食事は7時過ぎにどうぞ、とだけ説明を受け、明朝8時の約束をしてガイドのタン氏は帰っていきました。ほっ、と一息。まわりは真っ暗でまだ何となくブータンに着いたという感じがあまりしません。熱いお湯が出ることを確認してから、シャワーを浴びました。シャワーはまずまず。水道水は飲めませんが、水質そのものは悪くなさそうです。
1階のレセプションの奥にレストランがあります。手前側には宴会場があり、今日はなにかの宴会をやっているようでした。ツアーの料金には3食の食事代が含まれていて、このホテル・ドゥルックの食事は旅行会社持ち、飲み物代は自分持ちになります。最初にインド製のビールを頼んで、スープ、サラダ、チャーハン、カレー風の煮込みを頼みました。メニューは主にインド料理で、だいたい50Nu.前後です。味はまずまずといったところ。食事をしていると、バーテンが各種のカクテルを手際よくたくさん作っていました。宴会場に運んでいるようでした。
Benjamin (=^o^=)
夕食後、午後8時過ぎにホテルで両替をしてもらい、ティンプー市街のメイン通り、ノルジン・ラム(ラムは通りという意味)に出ました。通りを南に歩いてみました。ホテル・ドゥルックのあるあたりは、ジョモラリとドゥルック・シェリッグという二つの大きなホテルがあります。
いずれも「いいホテルだ」、と多くのガイドブックで紹介されています。中までは入りませんでしたので実際はわかりません。いくつもの店がありますが、ミネラルウォーターを買おうと思い、いくつかの店をたずねましたが、置いていない店も多くて、何軒かまわって、ミネラルウォーターを2本買いました。1本15Nu.でした。ティンプーでは3回ミネラルウォーターを買いましたが、どこの店でも銘柄は違うものの、同じ値段でした。
飲み屋のオヤジさん |
お互いたどたどしい英語で、ブータン製のラムを1杯もらい、ちょっとお湯で割って少し飲みながら、ガイドブックの写真を一緒に眺めながら会話らしきことを楽しみました。ラムをもらうのにも最初ボトルごといるのかと訊かれ、1杯だけと説明するのにかなり四苦八苦。ラムは1杯4Nu.。主人がにこやかに4本指を立てたので、40Nu.かと思いこりゃ高いなと思ったのですが、4Nu.だと英語で言い直してくれました。Nu.はニュルタムというくらいの発音でした。
揚げパンがあったので、こちらもいただき、3Nu.でした。ラムが4Nu.なのに揚げパンが3Nu.は、こりゃ高い、とかいう金銭感覚にすでに変わっています。実際、1Nu.の価値は高く、庶民の生活では、100円くらいの価値があるのではないかと思います。外国人向けの価格でも、1Nu.は20円くらい、つまり、ホテルでは、1皿50Nu.なら1000円相当くらいでしょうか。日本でも普通に朝食300円のランチ500円でも、ホテルだと朝食2500円のランチ5000円だったりするわけで、どの辺で比較するかが難しいわけですが。
ブータンの物の値段は、ほとんどがインドからの輸入品であることもあって、話によればインドの1.5倍〜3倍するするそうです。インドには行ったことがないので、あまり実感としてはつかめないのですが、確かにミネラルウォーターは割高という感じでした。
インドからの輸入品は別として、ブータン国内では、退役軍人の福祉会社が酒造しています。いま飲んだブータン製の「ドラゴン・ラム」もそうです。
ホテルに戻り、ベッドに横になると、あっという間に眠りこけてしまいました。
Benjamin (=^o^=)