Bhutan flag Bhutan旅行記'95 …前 | 続く…


4日目 12月12日(火)
【Bhutan】野良犬天国のブータン

ホテル・ドゥルック

ティンプーのホテル・ドゥルックで、ほんのり霧がけむる感じの平和な朝を迎えました。メインストリートのノルジン・ラムに面した建物の裏通りを歩くブータン人と、ブータン中にいるという野良犬が歩いているのが見えました。

いまやブータンは野良犬の天国で、ちまたの噂では人間よりも多くの野良犬がいるのではないかといわれています。ブータン人は、殺生を嫌い虫も殺さないそうです。冬は蠅や蚊などの虫が少ないので虫が多いという印象はまったくありませんでしたが、多くの書籍などによると、夏には本当にたくさんの蠅が出るそうです。それでもブータン人はちょっと虫を追いやるだけなのだといいます。犬をペットとして飼っている人はほとんどいないようなのですが、家の外に残飯などを置いて犬に食事を与える人は多いそうです。猫は犬にくらべるととても少ないのですが、たくさんいる犬ととても仲がいいのか、それともお互いに単に干渉しあわないだけなのか、犬と一緒にいるところもよく見られます。野良猫が多いようですが、猫は家の中でかわいがられたりして、大事にされていたりすることもあります。犬がどうしても嫌いな人にはブータンの旅行は向かないのかも知れません。

石田孝夫氏の「ブータンに図書館をつくる」によれば、1991年頃に増えすぎた野良犬を毒入りマンジュウで処分したそうです。それから増えたのかどうかはわかりませんが、町中に野良犬が歩いています。

朝食は、ホテルのレストランで目玉焼きとトースト、コーヒーをいただきました。レストランも裏通りに面していて、窓の外を行き交うブータン人の姿が見えます。食事を終えて準備をしていると、ガイドのタン氏が部屋をノックしてやってきました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】古都プナカへ出発

マンダラ・ツアーのバンに乗り込み、古都プナカへ出発です。今日は、首都ティンプーの70キロほど東にある古都プナカと、ウォンディポダンへの日帰りツアーです。ティンプー(標高2400m)とプナカ(標高1450m)、ウォンディポダン(標高1200m)の間には、ドチュ・ラ(ラは峠の意味)(標高3100m)があり、急なアップ・ダウンとなります。

純ブータン風の
ガソリンスタンド

ティンプーのメイン通り、ノルジン・ラムを南に下っていくと、左手にガソリンスタンドが見えてきました。ブータンの本でしばしば取り上げられるガソリンスタンドは、純ブータン風の建築になっています。ノルジン・ラムが終わったところを左折し、ティンプー・チュを渡ります。ノルジン・ラムも橋も2車線の広い道です。渡り終わったところがバス・スタンド。右に曲がり、ティンプーを後に、約6キロ南下しシムトカへ向かいます。離れて見るティンプーの町の中に、メモリアル・チョルテンという仏塔が見えました。途中ヘリコプターの発着場と書かれていたとおぼしき看板を見かけましたが、具体的な場所はわかりませんでした。ブータンはヘリコプターを所有していないので、有事の際にはインド軍のヘリコプターが飛んでくるのではないかと思います。

シムトカへ向かう途中ティンプーの谷のビューポイントがあり、看板が立っています。ティンプー・チュに沿って田んぼが広がる様がすてきでした。午前中にここを通りかかるといい風景が眺められます。午後だと逆光になってしまうので注意。ここで車を止めてもらい、写真を撮っていくとよかったかも知れません。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ティンプーの入口、シムトカ

シムトカは南のプンツォリン(標高200m)からティンプーまでの国道1号線と、プナカへ向かう道の交わる三叉路にあります。

シムトカ・ゾン

シムトカの丘の上には大きなゾンがあり、1629年建立です。このゾンを建てたチベット仏教のドゥルック派のチベット人僧シャプドゥン・ガワン・ナムゲルは1639年に西ブータンを統一し、はじめてブータンを国家として成立させた人です。

宗教的に権威の高いシムトカ・ゾンは1Nu.紙幣の裏にも描かれています。僧侶の学校として、またゾンカ(ブータン語、カは言葉の意味)の学校として200名の学生が学んでいるそうです。シムトカの三叉路の中心には大きなマニ車があります。マニ車というのは、「オム・マニ・ペメ・フム」(観音菩薩の6字の真言)という言葉が書かれ、中に経文が収められた円筒で、右回りに回転させると経文を読んだことになるというものです。寺などのまわりにはマニ車が無数についていて、それを右手で右回転させながら寺のまわりを右回りに真言を唱えながらまわって祈るものです。

三叉路のマニ車

シムトカの三叉路からプナカへ向かう道は、ティンプーへの道と立体交差になっていました。一見ちょっとヤワな感じですが、この道は幹線ですからインドからの無数のトラックが通ったことでしょう。ティンプーから来ると、立体交差の下を通り、マニ車の左側から右回りにまわって立体交差の上を通り、プナカに向かいます。

ホンツォ

シムトカを過ぎると、チェックポイントのある村ホンツォに到着しました。ティンプーから19キロの地点です。パロとティンプーの間にあるチュゾムと同じく、外国人の旅行許可証をチェックします。ゲートは開いたままで、係員もいませんでしたが、しばらくするとやってきて、手続きをしてくれました。

みんなで記念撮影

やたらビデオカメラを回している私を察してか、ドライバーのチミー氏がバンの窓ガラスを綺麗に拭いてくれました。村の兄弟と姉とおぼしき3人組がやってきて、「写真をとって」、というのでしばらく記念撮影。このあたりはチベットからブータンに帰化した人々が住んでいるのだそうです。手続きを済ませたガイドのタン氏は村の店に飛んでいき、なにやらお菓子を買ってきました。インド製のガムですが、相当いま一歩な味と噛み心地でした。ちょっとだけ楽しませていただきました。ティンプーとは違う、高原らしいさわやかな空気に変わっています。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ドチュ・ラからのヒマラヤ

ブータンヒマラヤ

チェックポイントのある村、ホンツォを過ぎるとあたりに霜が降りています。雪はないようですが、寒くなってきました。数キロ行くと大きなチョルテン(仏塔のこと、サンスクリット語ではストゥーパという)が見えてきました。ドチュ・ラ(ラは峠の意味)です。

ドチュ・ラは霧に覆われていることが多いそうなのですが、ラッキーなことに今日はよく晴れていて遠くヒマラヤの山並みがよく見えます。

チョルテンから左に曲がるとBTCL(Bhutan Tourism Corporation Limited)が運営するレストハウスがあります。BTCLは1992年に設立され、それまでの政府の観光局(BTC:Bhutan Tourism Corporation)が民営化されたものです。

BTCLは最高級のティンプーのモティタン・ホテル、パロのオラタン・ホテルをはじめ、各種ツアーを取り扱っています。1992年に、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「リトル・ブッダ」をパロでロケーションしたときに40人にものぼるイタリア人スタッフの受け入れ態勢を整えたのもブータン観光公社なのだそうです。

小ぎれいなレストハウスではミルクティーとクラッカーなどのお茶菓子の有料サービスがあります。最高の場所にあるからか、さすがに高く一人当たり15Nu.のようです。立派な双眼鏡が設置してあり、ヒマラヤの嶺々の写真と名前が表示してあります。

地球の歩き方によれば双眼鏡は1985年の京都大学マサカン遠征記念のものだそうです。マサカン(7194m)が一番左に、テリカン(7094m)、ジェジェカンプーカン(7194m)、テーブルマウンテン(7094m)などがすべて見えました。タン氏によれば、先日大阪から来た人をガイドしたときにはやはり霧がかかっていてまったく見えなくて残念だったそう。乾季とはいえ、なかなか見られないそうです。とてもラッキーでした。

ドチュ・ラのチョルテン

レストハウスから少し下って、チョルテンまで戻り、チョルテンを右回りに一周しました。ドチュ・ラのチョルテンは大きく立派なものです。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】プナカへの下り道

ドチュ・ラを後にして、カーブの連続する道をどんどん下ります。下って下ってまだまだ下ります。なんせ標高3100mの峠から1500m以上も下るわけです。道はかなり舗装状態もいいのですが、このアップダウンは相当しんどいと思います。車酔いしやすい人にはブータンの旅行は向かないのかも知れません。

高度が下がってくるにつれて、さわやかな感じから、小春日和といった感じの空気に変わってきました。さっきまで暖房を入れていた車内も、窓を開けたりして暖かな風を満喫しました。

ティンプーからドチュ・ラを越えてきた道と、プナカへの道、ウォンディポタンへの道がロベイサという町で交わっています。ちょっと大きな町で、たくさんの人がバスを待っているようでした。

チミー・ラカンの近く

ロベイサの三叉路を左に曲がり、しばらく行くと、観光用のバスが何台か橋の上で停まっています。なにかバスのトラブルかと思ってしまったのですが、ヨーロッパからの団体ツアーがチミー・ラカン(ラカンは寺の意味)という寺を見に橋のたもとから小さな丘の上まで歩いて行っているようでした。丘の上の建物の名前をタン氏に確認しなかったので、もしかするとチミー・ラカンではないのかも知れません。

チミー・ラカンは1499年にガワン・チョゲルが建立し、そのガワン・チョゲルはティンプーの入口のシムトカ・ゾンを建立したシャプドゥン・ガワン・ナムゲルの高祖父にあたります。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】古都プナカ

ブータンの首都がティンプーとなったのは、1955年に3代国王であるジグミ・ドルジ・ウォンチュックがティンプーを恒久的な首都と定め、デチュンチョリン宮殿を建設して住むようになってからのことです。

プナカ・ゾン

それまで、プナカが冬の期間の首都、ティンプーが夏の首都となっていて、季節によってゾンの僧も国王も移動したそうで、こうした季節移動を民族学でトランス・ヒューマンスというとのことです。いまでもティンプーのタシチョ・ゾンとプナカ・ゾンの間を僧が季節移動していて、冬の季節はプナカに僧がいます。そのため、冬季はプナカ・ゾンの中へ外国人が立ち入ることはできません。逆に、夏期はタシチョ・ゾンには入れないのです。

その冬の都の象徴であるプナカ・ゾンが右手に見えてきました。2つのチュが合流して、サンコーシュ・チュになるところに大きなゾンが建っています。下流から向かって、左がモ・チュ(モは母の意味)、右がポ・チュ(ポは父の意味)です。しばしばヒマラヤからの雪解け水で増水し洪水になるそうで、1994年の洪水のため、ゾンのまわりが流されてしまったそうです。いまも修復工事をやっていました。冬季は水量は少なく、穏やかな感じに深緑色の川面が光っていました。

道を進むと、広場に出ました。舗装道路はここプナカまでで、この先は未舗装になっています。

プナカ・ゾンは、1637年にシムトカ・ゾンを建立したシャプドゥン・ガワン・ナムゲルが建立しました。他のゾンもそうなのですが、たびたび火災に遭い、現在の建物は1849年に再建されたものだそうです。1953年に第1回の国会が開かれたのがこのプナカ・ゾンです。

プナカ・ゾンへモ・チュを渡る

プナカの広場で車を停め、歩いてモ・チュにかかる吊り橋を渡りました。橋を渡るとゾンの入口ですが、冬季は残念ながら中には入れません。北側から裏手にまわると、石垣で堤防を作る工事中のようでした。南の端の部分ではゾンの建物の修復も行われており、ちょっとした建設現場といった感じでした。
ポ・チュとモ・チュの合流点の方からまわってモ・チュの方まで回り込みましたがゾンの敷地に入ってしまうため1周はできず、引き返しとなりました。

プナカの町には僧の姿が多く見られました。町の広場には銀行や郵便局があり、車も何台か停まっていました。歩いて青空マーケットのあるモ・チュの川上の方へ行きました。いくつも小さな店が並び、その先の広場で、数人のおじさん、おばさんが野菜などをかごに入れて売っています。正午頃でしたが、マーケットの人がかごに寄りかかってうたた寝をしていたりして、とてものどかでした。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ピクニック気分でお弁当

ここでお弁当

プナカ・ゾンを後に、さっき来た道を戻りました。さっき、チミー・ラカンに向かっていた団体ツアーの一行が丘を戻ってきているのが見えました。ロベイサの交差点を今度は左へ曲がり、ウォンディポダンへの道を進みました。

段々畑の綺麗な谷をうねうねと進みました。谷に時折見える廃墟のようなものは、一説によると19世紀に疫病が流行って村ごと死に絶えた跡だそうです。狭い谷で流行った疫病は大変なものではなかったかな、と思います。

プナカからウォンディポダンまで、サンコーシュ・チュ沿いに南へ緩やかに下る道が続いていました。見晴らしのいいところで車が停まり、「ランチをとりましょう」とガイドのタン氏が楽しげにいいました。緩やかなカーブの路肩に駐車し、道からちょっと登った平坦な草むらでお弁当を広げました。路肩の付近にはサボテンが生えていて、プナカとはまた違う植生になっているようです。そういえば、これから行くウォンディポダン・ゾンをサボテン城と紹介している本もありました。

ブータンのお弁当は、ポンチューという竹製のザルを向かい合わせにはめ込んだようなものに入っています。ポンチューを開けると、アルミ・ホイルにくるんでありました。私のお弁当の中身は、ブータンの主食の赤米がたくさんと、鶏肉の煮込み料理、ポテトサラダでした。ブータン料理が一般に辛いそうなので、もしかして煮込みがとても辛いのではないかと思いましたが、外国人向けなのでしょう、まったく辛くなく、シチューのような感じのソースがとてもおいしい食事でした。

サンコーシュ・チュ

ブータンでははじめて、手を使っての食事になりました。ブータン流の食事の仕方は、まず最初に赤米を少しとり、右手でこねながら手の汚れを取ります。こねて汚れを落とした赤米は近くの生き物にあげてしまうのです。民家では犬や猫などが勝手にあがり込んでいたりするらしいので、そうした動物にあげるのだそうです。右手で適当に赤米をこねながら、おかずに浸して食べます。赤米はブータン人の主食としてもっともポピュラーなもので、見た感じとしては、小豆の入っていない赤飯のような感じで、想像していたよりも赤味が強いものだなぁと思いました。味は、もちっとした感じで、重たい感じがします。タン氏とチミー氏は、赤米の山のようなご飯と、一見して野沢菜の唐辛子和え、という感じの食事でした。二人とも手際よくどんどんご飯を食べていきました。私も負けじと鶏肉にかぶりついて食べました。私が食べきれなかった赤米は、タン氏が「アリンコにあげる」といいながらその辺に置いていました。特にアリンコがいたわけではないのですけどね。

インド製のミネラルウォーターを飲みながら、ウォンディポダンの谷の風景を眺めているといい気分です。いつも風が強いところなのだそうですが、あまり風もなくて穏やかな気候でした。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】風の町、ウォンディポダンへ

ウォンディポダン・ゾン

ランチの場所から少し行くと、サンコーシュ・チュの向こう側の丘の上に大きなゾンが見え、川には鉄橋が見えてきました。ウォンディポダン・ゾンです。三叉路の町、ロベイサから南へ9キロの地点です。

1685年に第4代デシ(摂政)であるテンジン・ラプゲーがかけた橋は1968年の洪水で流されてしまったそうです。鉄橋の手前にはチェックポイントがありますが、すぐに手続きは済み、鉄橋をゆっくり渡ります。ちょっと長い鉄橋を渡るとゾンのすぐ真下になります。
ゾンの南で東のブラックマウンテンから来たダン・チュと合流してプナ・ツァン・チュとなってインドへ流れていきます。ウォンディポダン・ゾンは、プナカ・ゾンと同じようにチュの合流点に建っているのです。

橋を渡って急な坂道を登る、そこがウォンディポダンの町です。坂の途中から右側に商店が軒を連ねています。坂を登ると左手になにもない広場とガソリンスタンドが見えてきました。ガソリンスタンドといっても立派なティンプーのそれとは違い、給油機が広場にあるだけです。広場は土がむき出しになっていて、軽く風が吹くだけですごい土埃が町中に立ちこめていました。

広場にバンを停めて、町の見物です。ウォンディポダン・ゾンは観光客に開放されていないので見ることができないとのことでした。広場の向こう側に中学校があり、休み時間なのか大勢の生徒が教室の外に出てきていました。ブータンの学校は一般に男女共学で、ゴーなどの制服も含め無料なのだそうです。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ウォンディポダンの町

広場の端に公衆便所がありました。左右に入口があり、男性と女性に分かれています。コンクリート造りで建物そのものはブータン風ではありません。入口のすぐのところが手洗いになっていて、建物上部に載せてある水タンクから水が流れていました。適当にコンクリートの仕切があり、下の部分に水が流れている水洗式のトイレです。

   
 
 

大勢集まって...

 
広場の奥、ゾンの近くにこの付近では唯一の宿のウォンディポダン・レストハウスがありました。この脇で人がたくさん集まっているので、なんだろうとのぞきに行くとどうやらヤクを解体して売っているようです。ブータンでは、殺生を嫌うのですが、肉は食べます。ヤクを売っているのは主にチベット人なのだそうです。たくさんの人が集まっているので、ほとんどなにも見えませんでしたが、肉の塊を買えた人は大きな肉をそのまま持って帰っていました。

通りの商店にはレストランなどの他に、テレホン・ブースなどもあり、店先にはゾンの僧の姿もありました。広場から100mほど行くともう町は終わりになります。道のすぐそばの崖でままごと遊びをしている少女が数人いて、手を振ってくれました。しばらくビデオを撮ったりしていると、どこからか少年も集まってきて、あっという間に10人以上になりました。とったビデオをビューファインダーで順番に見せてあげるととても喜んで、おばあさんが近くにいるので撮って欲しいと言われました。ブータンでは年長者がとても大切にされる国です。おばあさんを中心に赤ちゃんからお父さんらしき人まで集めて撮ってしまいました。今度行ったときに手渡しできるといいかも知れません。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ブータンの猿

ウォンディポダンの町を後にして、橋を渡り、来た道をティンプーへ戻りました。ロベイサの町では、三叉路のところにあるバス・ストップでまだたくさんの人が待っていました。バスは1日1便くらいなのでしょうか。ガイドのタン氏は助手席で眠っていました。

ドチュ・ラへ向かう登り道の途中で、ドライバーのチミー氏が「モンキー!」と言うので前方を見てみると、サルが道のすぐ脇を歩いていました。左側の崖を見ると何匹ものサルがいます。のんびりした様子で、じっとこちらを眺めていました。すぐにどっかへ行ってしまうかと思っていたのですが、ずっと静かにしていました。

ドチュ・ラを越え、ホンツォのチェックポイント、シムトカの立体交差を過ぎ、ティンプーの谷に戻ってきました。時刻は午後4時頃。ティンプーの町は閉まっている店が多く、とても活気がありません。火曜日は商店がお休みなのだそうです。プナカやウォンディポダンの商店は営業していましたから、ティンプーだけの決まり事なのかも知れません。時計台のある広場を一周してホテル・ドゥルックに帰ってきました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ティンプーで映画を見る/1

   
 
 

映画館

 
ティンプーには、ノルジン・ラムの真ん中に映画館があります。平日は1日2回上映され、午後5時半からと、午後8時半からです。ガイドのタン氏にお願いして、見に行くことにしました。座席の値段はわかりませんでしたが、30〜40Nu.ほどではないかと思います。とても混んでいるので先に切符を買ってきてもらい、5時過ぎに出かけました。

念のため書いておきますと、これはガイドとしての仕事の範囲外ですので、すべて費用は私持ちです。映画館の前は広場になっていて、近くに中級ホテルのホテル・タンディンがあるビルなどがあります。広場の横は駐車場になっていて、何台か車が出入りしています。ノルジン・ラムは片側駐車禁止になっているようでした。ティンプーでももっとも活気のある場所だと思います。映画館の隣にはBTCLが経営するレストランもありました。

   
 
 

映画館のロビー

 
映画館は2階建てのブータン風の外観をしていました。階段を登る入口で切符のチェックがありました。階段を登ると2階のロビーになっていて、入口が2つありました。建物正面のベランダに出ることもできます。ベランダから映画館前の広場を見ると、小さなかごに嗜好品のドマというビンロウジュの実をキンマの葉で石灰をつけて包んだものを売っています。「ドマ、ドマ、ドマ、ドマ」という元気な声が広場に響きます。ビンロウジュの実を嗜好品として楽しむ習慣はインドをはじめ、台湾など東南アジアで広まっているものです。ブータンでは公式の場でも進められることがあります。最近では年少者がドマを楽しむのを規制する動きがあるそうです。ブータン政府は禁煙運動をやっていて、ブータン人ではあまりタバコを吸う人は見かけませんでした。ブータン内では、コカコーラも、ペプシコーラも見かけず、その代わりにインド製のコーラ飲料「サム・アップ」とオレンジ風味ドリンクの「ゴールド・スポット」が主流でした。ちょっと不安でしたが、サム・アップを買ってきてもらいました。栓抜きがない、と思っていたら、タン氏が「失礼」と断った上で歯で挟んで抜いてくれました。大丈夫とはいうものの、ちょっと危なそうでした。味は、コーラ風味のちょっと間抜けな味です。まずくはないのですが、あまりおすすめできない感じでした。かといって他のものはないわけなのですが。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ティンプーで映画を見る/2

   
 
 

映画館館内

 
映画館の館内は広く、今回の席は2階席の右前方。1階は木の座席、2階はプラスチックの座席で想像するに2階席の方がいい席なのだと思います。映画館内は禁煙。映画の開始前に国王陛下の写真が投影され音楽が流れます。他の国々がそうであるように、全員起立します。音楽が終わればすぐに着席して映画がはじまります。肝心のネパール映画はタイトルがネパール語、ちょっと難解でどういう人間関係なのかさえつかめないという有様なので省略。ルンビニでのマヤ堂ロケーションもあったりして、ネパールらしい映画ではありました。もちろん、突然ミュージカルになってしまうのはヒンドゥー映画共通です。ルンビニが映されると、人々は急に神妙になっていました。ルンビニのマヤ堂は現在解体調査が行なわれているので、この映画は最近のものではなくて、ちょっと前のものなのだと思います。

音響は比較的いいのですが、映写機のランプがちょっと明るさが不安定な感じでした。映画のリールが1本終わり、隣の映写機に切り替えるタイミングが遅れて暗い画面になってしまったとき、観客が突然「ワー」という声をみな出して、なにかをたたいて囃し立てるようにしていました。これはちょっとおもしろい習慣ではないかと思います。一度映写機のランプが暗くなったときも囃し立てていました。いつもおおらかなブータン人は、結構短気なのではないかと思ったりもしました。

ブータン人はたくさんの言語を操る人々です。自分の地域の方言、国語のゾンカ、ネパール語の3つ程度は誰でも話せるようですし、教育を受けた人であれば英語ができます。ネパール語は映画やビデオ、またネパール系の人々が多いので年長者でも誰でもできるようです。ネパール語のまったくわからない私はちゃんと勉強しないといけないなぁと思った次第。

7時頃に休憩があり、1階席の人は広場に出たりしていました。映画館の出入りは比較的自由のようです。2階席の入口にトイレがあります。右側が女性用、左側が男性用です。中央はお菓子などを売っているスタンド。トイレの使い方がちょっと困ったもので、というかブータンの常識なのか、トイレの中であればどこでも場所を構わず用をたしてしまう人がたくさんいたりするのがちょっと不思議。混んでいるのは確かなのですが、並んでいればすぐなんですけどね。ううむ。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ホテル・ドゥルックで夕食

映画を見てからホテルに戻ってちょっと遅めの夕食をとりました。

レストランに入ると、「日本人ですか?」と声をかけられました。 Aさんはタイを中心に旅行を続けている日本人で、ブータンにはじめて来たとのことでした。お互い久しぶりに日本語を話しますね、などと談笑をしました。どうやら同じ飛行機でカトマンドゥから来たらしいのですが、なぜか気がつきませんでした。手配した旅行会社が同じなので、マンダラ・ツアーを利用しているとのことでした。

今日の夕食はタンドリー・チキンなどを頼んでみました。あっさりした味付けでなかなかおいしい。ホテル・ドゥルックのナン(インド風のパン)はおいしいのでおすすめです。Aさんの部屋は4階で、私の部屋とはだいぶ違って山小屋風の雰囲気です。壁や家具などもいい感じでした。ベッドはシングルですが、バスルームは同じ作り。こういう部屋もあるようです。

ホテル・ドゥルックは4階建て。地下があり、地下はヘルス・センター。サウナなども無料であるようなのですが、詳細は不明。1階はフロント、レストラン・バーと、宴会場、一応土産物屋もあります。2階は美容室と客室。3階はすべて客室。4階は数が少ないのですが客室になっています。ランドリーサービスがあり、翌日仕上げです。トレーナーをランドリーに出してみましたが、値段は10Nu.にサービス料と税金が20%あるので、合計12Nu.でした。備え付けのランドリーバッグに入れ、部屋の入口にランドリーがある旨の表示の札を下げておけばOKです。日中に回収してくれ、翌日部屋に返してくれます。ドライ・クリーニングはブータン内ではできないのかも知れません。

部屋に帰って、ちょっと部屋の空気を入れ換えようと思って窓を開けたとき、なんと窓にカギがないことに気がつきました。部屋の入口はカギがありますが、いわゆるオートロックではなく、クラシックなカギ穴があるタイプのものです。廊下の窓をみてもカギはありません。きっと、そういうトラブルは起こらないのでしょう。パスポート、現金などの貴重品を部屋に置いたままにしないようにする配慮は、必要ですが。ホテル・ドゥルックの部屋のコンセントはネパールと同じ3つまたと2つ穴の組み合わせタイプ。電圧は220V〜240V程度と高く、変動、停電、不意の高電圧などがあるようです。石田氏の「ブータンに図書館をつくる」には、時々高電圧がかかり電球が切れてしまうと書いてありました。コンセントに繋ぎっぱなしで外出するのは避けたほうがいいかも知れません。電気の事情は思わしくないようです。電話は、部屋からフロントの交換経由で日本まで国際電話ができるそうです。値段を聞いてみましたが、1分160Nu.との話でした。これはまた極端に高いので、試してはみませんでした。

明日はティンプー市内の一日観光です。

Benjamin (=^o^=)



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