Bhutan flag Bhutan旅行記'95 …前 | 続く…


5日目 12月13日(水)
【Bhutan】交差点の手信号

   
 

交差点の警察官

 
ブータン旅行もようやく中盤にさしかかりました。
今日は、ティンプー市内を観光します。どんな順番にまわっていくのかはちょっと不明。どこまで見られるのでしょうか。

朝食後、ホテル・ドゥルック前からバンに乗り、メインストリートのノルジン・ラムを北上します。ノルジン・ラムの交差点の3カ所には警察官が手信号をやっています。今枝由郎氏著の「ブータン 変貌するヒマラヤの仏教王国」(1994年)には、唯一の週刊新聞「クエンセル」誌に、ティンプーに交通信号が設置されたという話が載っていたと紹介されていて、「警察官の肌の暖かみが伝わってくるような、人情味のある手信号は、この本が刷り上がるころには、もう昔の語りぐさになっているのであろうか。」と書かれていますが、幸いかまだ信号機にはなっていませんでした。まだしばらくは、人情味ある手信号が見られそうです。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】首都ティンプーの観光

   
 

ドゥルック・エアー本社

 
ノルジン・ラムを北上して三叉路を左に曲がったすぐのところ、右側にドゥルック・エアーがあります。以前はホテル・ドゥルックの隣、マンダラ・ツアーのあるビルにドゥルック・エアーのオフィスが入っていたようです。今回の旅行では、ブータンまでのチケットは事前に日本で受け取りましたが、ブータンからバンコクまでのチケットは予約が入っていて、現地で購入するということになっています。329米ドルがブータンからバンコクまでの定価で、米ドル現金で支払いました。ここでもAMEXを含め、クレジットカードは一切使えません。ドゥルック・エアーが入っている建物は立派で、裏側にはブータン国営放送のBBSが見えました。中は、数人が事務をしているだけですが、こぎれいなオフィスです。ちょっと詳細は書きませんが、期間限定のディスカウントチケットも発行していると書かれていました。そういうものもあるみたいですね。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】チャンガンカン・ラカン

   
 

チャンガンカン・ラカン

 
帰りの航空券を無事に入手してから、坂を登りチャンガンカン・ラカン(ラカンは寺の意味)に行きました。ティンプーの谷でももっとも古い寺の一つで、ブータンにドゥルック派の教えを伝えたパジョ・ドゥックゴム・シクポの子孫が15世紀に建てたものです。この寺は拝観することはできませんが、特別に本堂を参拝させていただきました。本堂の内部については知識がないのでコメントできないのですが、たくさんの像がまつられています。ブータンの像は、おどろおどろしいと紹介されることも多いのですが、いずれも柔和な顔立ちでした。薄暗いお堂の中をゆっくり像の前まで拝見させていただきました。中央の像の組んでいる足が手前に向いていて、とても大きかったのがなぜか印象的でした。寺の中の壁面にはマニ車が並んでいてこれを右手でまわしながら歩き、チャンガンカン・ラカンの建っているティンプー市街を見下ろせる丘の上からの眺めを楽しみました。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】モティタン・ホテル

   
 

新しいモティタン・ホテル

 
ガイドのタン氏にお願いして、BTCLが経営しているモティタン・ホテルを見に行きました。以前は国営だった最高級のホテルです。モティタンというのは、ティンプーの北西の丘の地域の名前で、1974年の現国王の戴冠式のために建てられた迎賓館を使ってはじまったホテルなのです。ブータンの観光事業は1974年にはじまり、その戴冠式のために建てられたティンプー、パロ、プンツォリンの迎賓館、車を利用し、戴冠式の国賓接待係がガイドを担当したそうです。モティタン地域は1980年代に高級住宅街としてようやく発展し始めたところだそうです。現在のモティタン・ホテルは最近新しく建てられたもので、旧モティタン・ホテルの手前1キロのところにあります。ホテルの看板の立っている交差点から左にちょっと入ったところです。新しいモティタン・ホテルは10部屋ほど。こぢんまりした感じの建物です。1階は広くゆったりとしたロビーと、レストラン、バーがあります。2階以上が客室になっていて、客室の一つをルーム・メークしていましたので、覗かせてもらいました。木の香りがすてきな広い部屋で、部屋を出たところがテラスになっています。テラスからはティンプーの谷が見渡せていい眺めです。市街からはちょっと歩けない距離なのが難ですが、いいホテルだと思います。もし、歩くとすると、30分以上かかりそうです。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】旧モティタン・ホテル

   
 

旧モティタン・ホテル

 
モティタン・ホテルからさらに奥に入ったところに、旧モティタン・ホテルがあります。現在は1980年に設置されたゾンカ語開発委員会などのオフィスが入っています。ゾンカ語開発委員会は、綴字法の制定、訳語の統一、辞書の編集などの作業をしているそうです。日本からゾンカのタイプライターが無償供与され教育と政府の事務に役立てられているという話が1995年の秋にNHKの番組で放映されましたが、そうしたゾンカの保存、普及のプロジェクトを担当している部署です。
旧モティタン・ホテルはちょっと荒れた感じはするものの、ゲートの奥、林を抜けたところに建つ建物は立派です。建物の内部も装飾が凝っています。オフィスの中は覗けませんでしたが各オフィスの入口は英語で表記してあり、ドアの前にはブータン風と布がかけられていて、暖簾のようになっていました。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】動物園のターキン

   
 

国獣ターキン

 
旧モティタン・ホテルからさらに奥に入り急な坂道を登りはじめたあたりに、モティタン動物園があります。看板もなにもないので、どこが動物園なのか全然わからないのですが、確かに柵があって仕切られています。ブータンの国獣のターキンがいます。柵はとても広いので、柵の中のターキンは遥か彼方でのんびり寝そべっていたり、草を食べています。ターキンは牛と羊のあいのこのような生き物で、中国の四川省とブータンにしかいない珍しい動物です。遠くから見ているとのんびりしているのですが、実は結構どう猛な動物だそうです。ターキンがこっちを向いていないと、タン氏とチミー氏が石などを投げて気をひいたりしていました。別にいじめているわけではないのでしょうが、動物をいじめたりすることと、殺生しないということとは関係ないのかも、などと思ってしまいました。ターキンは7頭くらい見えました。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】タシチョ・ゾンの眺め

整備された山道を登ると、タシチョ・ゾンの上に出ました。見晴らしのいい場所ですが、昼頃だと逆光になるので、写真撮影には適していないかも知れません。もし来るなら夕方がベストでしょうか。ドチュ・ラと同じようにダルシンという経文の書かれた旗、もしくは、のぼり、といえばいいでしょうか、たくさん立っていて、小さなチョルテンもありました。

   
 

ドゥルットプ尼僧院

 
登ってきた山道を戻り、旧モティタン・ホテルの先を左に曲がり、タシチョ・ゾンの方向へ山の裾を進みました。ドゥルットプ尼僧院という尼寺がありました。黄色が映えて綺麗な建物です。ドゥルットプというのは「悟りを開いた人」という意味で、15世紀のチベット僧のドゥルットプ・タントン・ギャルポにちなんだ名前のようです。タントン・ギャルポは鎖を手にしていて、鉄をもたらした偉人として慕われているそうです。

いよいよ山の裾からタシチョ・ゾンへの道を下りました。冬季はタシチョ・ゾンは僧はプナカ・ゾンに行っているので行政府としてだけ機能しています。そのため政府の業務が終わる午後4時以降は内部を見学することが可能です。昼間は他のゾンと同じで、外観だけの見学となります。タシチョ・ゾンの北側の道路を下っていくと、道の真ん中に信号が見えてきました。1本だけ立っているその信号は点灯していませんでしたが、これが1994年にできたブータン初の信号機なのでしょう。タシチョ・ゾンの北側の入口に立っていました。ティンプー・チュを挟んでタシチョ・ゾンの反対側に、SAARC(南アジア地域協力協議会)の会議場が建っています。ゾンよりも少し北のティンプー・チュには、カンチレバー式の屋根のある木造の橋がかかっていました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】古寺パングリ・ザンパ

   
 

パングリ・ザンパ

 
さらに北に向かうと、インド大使館の前に出ました。最大の外交関係国だけあって、広大な敷地の大使館です。大使館の敷地を通り抜け、ティンプー・チュの鉄橋を渡り、さらに北に向かいました。インド大使館近辺にはいくつかの工場がありました。ティンプー・チュを北上すると、デチェンチョリン宮殿の敷地が左側に見えてきました。この宮殿は第3代国王ジグミ・ドルジ・ウォンチュックが建てたもので、現国王のジグミ・シンギ・ウォンチュック陛下が生まれたところでもあります。デチェンチョリン宮殿へ渡る橋の袂には軍人がいましたが、特にチェックはなく通行できました。
   
 

子供たちがいっぱい

 
その北のパングリ・ザンパ寺院まで行き、車を降りての見物することになりました。寺院の裏手のすぐ近くを川が流れています。ブータンを初めて統一し、シムトカ・ゾンなどを建立したシャブドゥン・ガワン・ナムゲルが1616年にブータンに到着したときの住まいでした。パングリ・ザンパ寺院を建てたのはガワン・ナムゲルの高祖父のガワン・チョゲルで、16世紀初頭だそうです。停めたバンのそばでは牛が草を食べていました。寺院はいまは廃墟となっていますが外観はしっかり残っていました。寺院から南へ広がるデチェンチョリンの町をちょっと歩いてみました。周辺には商店や小さな診療所などがあります。カメラを持っていると元気な子供たちがあとからついてきたので、いつもながらビデオを撮って、見せてあげました。バンに乗って帰るときにも手を振ってくれました。大都会のティンプーらしからぬ、小さな町です。

今回は行かれなかったのですが、デチェンチョリンのさらに北、20キロほどいったところが行き止まりになっていて、そこから山を登ったところにタンゴ寺、ツェリ寺の2つの寺があります。ツェリ寺の入口には、伝統的な板葺きのカンチレバー式の新しい橋がかかっているそうです。ツェリ寺は1619年に建立。ツェリ寺の右には13世紀頃建立されたタンゴ寺があるそうです。タンゴ寺は建て直されていますが、それでも現在の形になったのは1688年と古い寺です。余裕があったら行ってみたいところですね。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】マーケットとブータン紙

南に向かい、デチェンチョリン宮殿の脇を通り、ティンプー・チュの左側に沿って進みました。近くで見るSAARC会議場はとても立派で、ブータン風ながら、すっきりした感じのする建物です。ぜひ中に入ってみたいんですが、やっぱり無理でしょうねぇ。

   
 

ブータン紙の工場

 
ティンプー・チュの反対側にサブジ・バザールが見えてきました。毎週土曜日と日曜日に開かれる青空マーケットで、1986年に台が整備され、1989年には現在の簡単な屋根のあるマーケットになったそうです。今回の旅行では土・日が含まれなかったので、にぎわうマーケットを見ることはできませんでした。新鮮な野菜、果物はこのマーケットでないとティンプーでは手に入りません。このサブジ・バザールでは、タシゴマンと呼ばれる立体マンダラ、または移動式小型寺院が見られる機会があるそうです。平日のマーケットは、がらんとしてなにもありませんでした。なにもないだろうなぁとわかってはいたもののちょっと残念です。

ブータン紙の作業場を見学しに行きました。かなり厚手に液をすのこに広げてつくるようです。熱いブリキ缶のようなものに張り付けて軽く乾かしていました。外では、天日で干している紙もたくさんありました。これらのブータン紙は経文を印刷したりするために使うようです。おみやげ用のブータン紙などはエンポリウムという土産物屋で購入できるそうです。女性と男性が一緒に、みなさん黙々と働いていました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ブータンの道路工事

   
 
 

道路工事中

 
これでだいたい、ティンプーを1周まわって戻ってきました。ノルジン・ラムの一番南、ガソリン・スタンドのある角を曲がって、北上していきました。ノルジン・ラムは、あちこちで工事中です。マンホールが開いていて、工事中の標識が英語で立っています。北の部分では、道路の舗装をやり直していました。工事を請け負っているのは主にネパール人です。薪でアスファルトを熱して、砂利の上に流し込み、最後にローラー・カーで踏み固めます。仕上げを除いて、ほとんど人力に頼った、手作りの道なのです。ブータンの道路はこうしたインドやネパールからの出稼ぎの外国人によってほとんどがつくられているそうです。南のプンツォリンからティンプーまでの国道1号線は、1959年にはじまり、1961年に完成しました。多くのブータン人を道路建設に従事させた結果、本来の仕事である農作業に問題をきたしたという話が残っています。ブータンの岩の多い山を切り開いて道路を作るのは本当に大変だったのではないかな、と思います。プナカへ向かう道でも、道路に向かって岩が顔を出している箇所がいくつもありました。こうした岩をひとつひとつ崩して道はつくられているのです。岩の頭には、白いペンキが塗られていて、衝突事故の注意を促していました。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ブータン料理エマダチのランチ

   
 
 

ZHIDHEYレストラン

 
ガイドのタン氏にお願いして、昼食はブータン料理も食べられる店に行くことにしました。最初はホテルで昼食をとったらどうか、と言われたのですが、いろんな店で食事をするのが旅の楽しみでもあります。ノルジン・ラムの西側に並んでいるたくさんの店のうちの一軒、「ZHIDHEY RESTAURENT-CUM-BAR」です。綴りがちょっと怪しいのは看板からそのまま書き写したから許していただくとして、店名をどう発音するのか聞き忘れてしまいました。ズィデー、と発音すればいいのでしょうか? ティンプーの一般的なレストランで、テーブル席が3つほどあり、今回はその奥の部屋に入れてもらえました。ダルマ式ストーブのある部屋です。いまはあまり寒くないので、ストーブに薪は入っていませんでした。壁には、なぜかネパールのホテルのパンフレットが張ってあったりしました。清潔で、落ち着いた感じのいい店です。
   
 
 

オレンジ味のゴールド・スポット

 
「なにか、飲むか?」と訊かれたので、ものは試しの「ゴールド・スポット」を頼んでみました。昨日、映画館で飲んだサム・アップと同様、これといったよさのないオレンジ風味のドリンクでした。サム・アップの方がまだいいかも。ブータンは、ネパールの飲料会社と提携して「DRUK」ブランドのオレンジジュースを輸出しています。ネパールのポカラで飲んだことがありますが、これがまた非常においしいんです。ところが、ブータン国内ではあまり出回っていないようで、探し方が悪いのかも知れませんが、ティンプーの店先では見かけませんでした。ホテル・ドゥルックで朝食で出されるオレンジジュースはとてもおいしいのですが、オレンジ、もしくはミカンをホテルで搾っているのか、こうしたブータン国内製品なのか、それともインドからの輸入品なのかはわかりませんでした。カクテルなどに使うオレンジジュースは、大きな缶詰を使っていたようで、ちょっと見た感じではブータン製のようでした。

   
 
 

上は焼きそば、手前が赤米

 
   
 
 

モモ

 
   
 
 

大きな唐辛子

 

おっと、大幅に脱線。今日の昼食は、主食の赤米の大盛り、チョーメン(焼きそば)、モモ(チベット風ギョーザ)、角切りジャガイモを揚げたフライドポテト、そしてやってきましたブータンのもっとも一般的な料理、エマダチ。エマダチのエマは唐辛子、ダチはチーズのこと。唐辛子のチーズ煮込みといった料理です。発音は、エマ・ダツィの方が近い、でしょうか。乳白色のソースの中に、どかどか、まるでピーマンのように大きな唐辛子が入っていました。乳白色のソースが、すでに超辛い。むしろ唐辛子の方がまだ辛くないくらいでした。ブータンの唐辛子はあまり辛くないそうで、実際それなりに唐辛子は食べられます。意を決して食べ続けると、結構うまい。料理の雰囲気としては、ココナツ入りのタイカレーのような感じでしょうか。辛いのは辛いのですが、マイルドな雰囲気もあって絶妙です。本来は手で食べるのですが、タン氏もチミー氏も今回はスプーンで食べていました。この文を書いていて、またエマダチが食べたくなってしまいました。モモは、まさにギョーザです。フランソワ・ポマレ氏のガイドブックでは、チベット風ラビオリ、と書いてありましたが、まぁ、そんなようなものですね。ブータンは醤油を使わない国で、モモにつけるものとして、唐辛子のペーストが出てきました。モモは辛くありませんが、このペーストはもちろん相当辛い。赤米とエマダチ以外は、基本的にはチベット料理だと思います。チベット料理を出してくれるレストランはティンプーにたくさんあるようです。チョーメンは醤油での味付けでないので、ちょっと間が抜けた感じでしたが、唐辛子ペーストをちょっと混ぜるとこれはうまい。アドバイスとしては、邪道かも知れませんけれど、レストランで食べるときは、醤油を持ってくるといいかと思います。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】お土産屋のエンポリウム

   
 
 

エンポリウム

 
食後は、道の反対側にある、観光客のためのお土産屋、「エンポリウム」をのぞきに行きました。2階建ての建物で、入口にキャッシャーがあります。ここでは、AMEXのカードが使えます。ネパールなど、アジア周辺ではAMEXは強力で、AMEXしか使えないというところもあるようです。1階は手工芸品。ブータン関係の書籍も少しあり、日本では手に入らない『ブータンの花』(中尾佐助、西岡京治著 朝日新聞社 1984年)も何冊も並んでいます。日本での定価からしてとても高い本なので、ブータンでいくらするのかはわかりません。貴重な本です。木工製品の器や、仮面など見ているだけでもいいものが並んでいます。店員も静かです。2階は衣料品。比較的高級な絹を中心とした織物製品がたくさん並んでいます。ブータンの民族衣装、男性用のゴー、女性用のキラがたくさんあります。各種マットや、ジャケットに仕立ててあるものなどは、エンポリウムならではの品揃えです。普及品の衣料製品もブータンは比較的高いのですが、絹の高級品だと、相当高いと思いました。だいたい5000Nu.弱(15,000円)からはじまる次第。本来、高級品の衣料は、織り元にお願いして織ってもらい、縫子にお願いして仕立ててもらうといった、お金も、時間も、そして人間関係がものをいう世界なのだそうですが、エンポリウムでは高級品が仕立てあがりの状態ですぐ買うことができます。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】民族衣装ゴーを買う

   
 
 

服屋さん

 
ノルジン・ラムのエンポリウムの反対側に衣料品店がいくつかあります。その中でも大きな店に入りました。ブータンの店は、それぞれ英語の看板を出し、看板には店番号(shop number)が振ってあります。今回入った店は、店番号30。実際に店名を確認するのを忘れてしまいましたが、フランソワ・ポマレ氏の英文ガイドで紹介されている、ギルツェン・ツォンカンという店だと思います。こちらでは主に普及品の綿製品を扱っています。仕立て上がりのゴーで700〜1000Nu.程度、ケラ(帯)が忘れてしまったのですが、300Nu.程度、テゴというゴーの下に重ねる白いシャツが100Nu.程度です。つまり、ワンセットで1200Nu.、4000円くらいです。ブータンでは、マーケットや商店での取引で外国人料金というのはないので、ブータン人もこの値段で買うわけです。というか、こうした店で外国人が買い物をするのは珍しくはないものの、売れる数としては微々たるものでしょう。ブータン人にとって衣料品は比較的高いものなのではないかと思います。たくさんの普及品のゴーの中から、自分のものを買ってご満悦の私でありました。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ティンプーの中心街

衣料品店の反対側が、ブータン銀行の建物です。朝9時から午後1時まで開いています。閉まるのが早いので注意しないといけません。私は両替はホテルでお願いしていたので、結局ブータン銀行には行きませんでした。ホテル・ドゥルックのある時計台広場の北側近くにもブータン銀行の支店がありました。

ノルジン・ラムを南へ下り、交差点を右に曲がると、右に最近立て替えられたホテル・タクツァンが見えました。1階のガラス戸のところには、リニューアル・オープンのときの写真と英文の説明があり、雰囲気と設備のよい中級ホテルのようでした。

ホテル・タクツァンの向こうのちょっと登ったところには、スイス・ベーカリーがありました。電気技師としてやってきたスイス人のマスターが許可をとってはじめたパン屋だそうで、マスターはすでにブータンに帰化してしまったそうです。日曜定休で朝から夕方まで開いています。しゃれた店内は広く、ティールームもいい感じです。ブータンのしゃれた社交場になっているそうな。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】メモリアル・チョルテン

   
 
 

メモリアル・チョルテン

 
ノルジン・ラムの交差点を右に曲がったところからが、チョルテン・ラムです。チョルテン・ラムをしばらく行ったところに、第三代国王が建てたメモリアル・チョルテンがあるので、通りの名前になっているのではないかと思います。第三代国王の遺志を継いで完成したチョルテンに、追悼の意味も込めた「メモリアル・チョルテン」の名が付けられています。内部は極彩色に彩られているそうなので、入ることもできるらしいのですが、たまたま閉まっていました。これは残念でした。付近には高い建物がないので、チョルテンの上部からはまわりが見渡せるそうです。チョルテンを右回りに2周して旅の無事をお願いしてきました。ティンプーのシンボル的なチョルテンです。

チョルテン・ラム、ノルジン・ラムと来た道を戻り、北へ向かいました。国営放送BBSの裏手にある病院に行きました。閑散としていて、また看板もなにもないので病院ということはわかりませんでした。係りの人がいなかったようで、建物の中にも入れず残念でした。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ブータンの本屋

タシチョ・ゾンに入れる時刻は午後4時以降なので、それまでメインストリートの散歩に出かけました。昼間のノルジン・ラムは活気があり、さすが首都の大通りの風格です。映画館の広場まで来ました。映画館の建物には、いくつかの商店が入っていて、向かって右側にある文房具屋と本屋に入りました。文房具屋は結構意外な品揃えでした。ガラスケースの中には、フロッピーディスクのメディアがいろいろ。パソコンは市内でまったく見かけないのですが、使っている人はやっぱり使っているのでしょう。本屋は、映画館の正面に面しているところが雑誌と新聞を売っています。ブータンの新聞は、週刊の政府広報誌「クエンセル」が毎週土曜日に発行されています。ゾンカ版の他、英語版、ネパール語版があるそうです。英語版の1部の値段は4Nu.。奥の方は、英語のペーパーバック、専門書などがあります。ブータン関係の本もそろっていて、ここで1冊「ブータンの民話」の本を買いました。最近出たばかりの本で、ブータン人の女性が英語で書き下ろしたものです。タイの出版社から1994年初版発行で、450Nu.と非常に高価でした。「ダンボォォォ、ディンボォォォ」ではじまる27編の民話と、11編の伝説が収録されています。手持ちのNu.があまりなかったので、10ドルとの組み合わせで支払いました。面倒な計算を電卓を使って手際よくやってくれた本屋の若者に、ブータン人の賢さと教育のレベルの高さを感じました。ちょっと言い過ぎかも知れませんが、ブータンに関する本が世界で一番そろっている店ではないかと思います。

広場の駐車場の脇にある、きっとブータン唯一のパソコン屋をちょっとのぞいてみました。どちらかというと修理工場の雰囲気ですが、タワー型のIBM互換機があるようでした。隣はビデオ屋です。ティンプーにはビデオレンタルショップがいくつもあり、それぞれとてもにぎわっています。国営のBBSはラジオ放送だけなので、ビデオを借りて主にインド映画を見ています。町中でビデオを見ている人のところに群がっている人たちもいました。ビデオの状態は決してよくはないのですが、熱心に見入っていました。映画館の並びのホテル・タンディンの1階はショッピング・センターになっています。スポーツ用品屋など、専門店もあったりしてさすがティンプーです。こうしたショッピング・センターは他にも3カ所ほどありました。ホテル・タンディンは、九里徳泰・林美砂著の「ブータン自転車旅行」で筆者らが泊まったホテルです。ロケーションは町中のもっともいい場所といえるでしょう。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】タシチョ・ゾンに入る

   
 
 

タシチョ・ゾン

 
4時前にホテルに戻り、部屋で一息入れていると、タン氏が部屋に迎えに来ました。タシチョ・ゾンに出発です。タシチョ・ゾンはブータンの政治と宗教の中心の建物で、ジェ・ケンポ大僧正の住居をはじめ、国王の執務室、国会議事堂などがあります。国王はタシチョ・ゾンには住まずに、北のデチェンチョリン宮殿に住んでいるとのことで、国王はつまりタシチョ・ゾンに通勤しているといえるのかも知れませんね。

タシチョ・ゾンの起源は、ブータンにドゥルック派の教えを伝えたパジョ・ドゥックゴム・シクポが1216年に建立したド・ンゴン・ゾンだそうです。ド・ンゴンとは青い石の意味だそうですが、いわれはちょっとわかりませんでした。現在のタシチョ・ゾンよりも北東にあり、現在はデチェン・ポダンという僧の学校が立っているそうです。ドゥルットブ尼僧院の北の丘の上に建っていた建物がデチェン・ポダンだったのかも知れません。シムトカ・ゾンなどを建立したシャブドゥン・ガワン・ナムゲルが1641年に立派なゾンに建て直して、名前をタシチョ・ゾンと命名しました。栄光ある宗教の建物というような意味なのだそうです。その後、第三代国王が1955年にティンプーを首都と定めたことで、タシチョ・ゾンはブータンの中心になりました。

ノルジン・ラムを北上すると、官庁街がありました。平屋建ての建物群がそれです。本来は政府機関はすべてタシチョ・ゾンに入っているものなのですが、入りきらない機関はゾンのすぐ南側にある建物に別れているそうです。タシチョ・ゾンの前の駐車場に停めて入口まで徒歩で向かいました。タン氏は、ゴーの懐から白い長い布を出して肩にかけ始めました。くるくると斜めに選挙運動のタスキよろしくかけました。これがカムニというもので、ブータン人が公式な場に出るときには必ずしないといけないものです。政界の長である国王と、宗教界の長であるジェ・ケンポ大僧正は黄色、大臣は濃い赤、ダショーという称号で呼ばれる人は赤、一般庶民は白という具合に、実際にはさらに細かく規定があるそうです。外国人にはこのカムニの規定は適用されませんが、外国人はゴーを着てゾンに入ることは避けるべきなのだそうです。ティンプー・チュに面したところに入口が二つありました。NHKの取材記録「遥かなるブータン」によれば、二つの入口のうち、一つは俗界用、もう一つが宗教界用の入口なのだそうです。つまり、きっと北側が俗界用の入口なのでしょう。ティンプー・チュを挟んで反対側には、SAARC会議場が雄壮な姿を見せていました。

北側の入口の階段を登ると、数人の警備兵が固めていました。タン氏が旅行会社名を告げて事情を話し、ノートに記入するとすぐに通してくれました。石造りの階段を一歩一歩踏みしめながら登ると、すぐにゾンの中庭に出ました。入ってすぐに石畳の広場になっています。ここが秋に開催されるティンプー・ツェチュという祭りの会場になります。ツェチュの期間中は、誰でもゾンの中に入れるのだそうです。広場の真ん中にひときわ高い塔が建っていました。ゾンの広場を取り囲むように建物が建ち渡り廊下状になっていて、それぞれの隅にある建物を繋いでいました。執務時間を終えたとはいえ、あまりに静かでシーンとしています。人の気配はほとんどしない、どこか夕方の学校にも似た風情のするタシチョ・ゾンでした。ここがツェチュのときには大いに盛り上がるのですから、いつかツェチュの季節に訪れたいと思いました。

明日の予定をタン氏に尋ねると、パロに向かう前にチレ・ラという峠に行ってみないかと提案してくれました。パロはティンプーとくらべるとそれほど観光する場所もないので、ゆっくり出発して、チレ・ラに車で登るといい、とのことでした。眺めがいいところなのだそうです。出発も9時過ぎにしました。チレ・ラは、空港のある町パロと、パロの西のハという町の間にある4000mの峠です。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】下水道プロジェクト

寂しいもので、もうティンプーでは最後の夜になりました。ホテル・ドゥルックから、夕暮れのノルジン・ラムを抜けて、裏通りをずっと北上してみました。商店街の一番北のはずれに、ミルク・ブースがあります。ティンプーの牛乳はここから供給されているのでしょう。バスのチケット売場のような感じの建物でした。
ノルジン・ラムを一軒一軒の商店をのぞきながら緩やかな坂道を下ってきました。
歩道は水平にできているので、何軒か商店が続くと階段があります。この階段の隙間に汚水が流れるような仕組みになっているので、足下に気をつけないと、汚水の溝に落っこちてしまいます。スイス・ベーカリーのそばに立っていた看板によれば、ティンプーでは下水道のプロジェクトを進めているようで、汚水をふた付きの下水路を通して、処理をしてからティンプー・チュに流すようにするそうです。たくさんの人が住むようになって、衛生設備も整ってきたようです。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ティンプー最後の夕食

ずっと南に歩き続け、映画館の広場まで下ってきました。今夜もたくさんの人が映画館の前に集まっていました。映画館脇の本屋をのぞき、並びの店を眺めていると、元気のいい少年が威勢良く「エッグ・ロールを食べない?」と言ってきます。最初誰に声をかけているのかと思ったら私でした。ブータンではあまり店の人がこうした声はかけてこないようなので、珍しいなと思いにこやかに「またあとでくるね」と告げておきました。おぼえていてくれたらいいな、と思いつつ。店名は「カバブ・ハウス」というのですが、羊の串焼き(カバブ?)を売っているのではなく、エッグ・ロールの専門店のようでした。

   
 
 

ホット・アンド・サワー・スープ

 
ホテルに戻ったころはもう夕食どきでした。昨日のAさんが、「ホテルのホット・アンド・サワー・スープはちょっとインチキだね」と言っていたので試しに食べてみました。ふむふむ。まぁ、確かにとても本格的とはいえないなぁ、とは思いつつ、でもそれなりに楽しめる味ではありました。スープの中でも一番高く、45Nu.もするのはちょっと疑問でしたけどね。ホテル・ドゥルックのスープのおすすめは、最初の日に食べたトマト・スープでしょうか。今夜は、ナンとカレーをつまんでみました。
Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】エッグ・ロール屋

   
 
 

カバブ・ハウス

 
食後に、また映画館脇のエッグ・ロール屋「カバブ・ハウス」に行ってみました。ふらふらと歩いていると「待ってたよ」と声をかけてくれました。もう、遅い時間らしく、具はない、とのことでしたがエッグロールを2つ作ってくれました。名前は、ウォンチュック君。私のおぼろげな記憶では彼は17歳とのことでした。昨年にカルカッタにエッグロールづくりの修行に行ってきたそうです。パンの生地のようなものをたたいてピザの生地のように丸く延ばし、鉄板の上に油を薄くひいて焼きます。ちょっと揚げるという感じかも知れません。丸い生地を盛んにくるくると回転しながら焼きます。たまごをプラスチックのコップのような容器に入れ、よくかき混ぜて、生地とは別に薄く丸く広げます。クレープの生地のような感じになります。
   
 
 

エッグ・ロール

 
これも盛んにくるくると回して焼きます。これを最初に焼いたパン生地に重ねて焼き、何度かひっくり返します。外側がパン生地になるようにして、中身に野菜のみじん切りと唐辛子を入れてクレープ状にくるくる巻いて出来上がりです。味は割となじみやすい感じで、温かいマイルドな外の皮と、ぴりりと辛い中身がなかなかおいしい食べ物です。はじめて食べましたが、インド料理なのでしょうか? 結構値段は高くて、1つ10Nu.です。具があるときには、チキンなどの中身を入れてくれるようでした。

カバブ・ハウスの中でウォンチュックくんと話をしていると、ちょっと不良っぽい3人の少年が入ってきてウォンチュックくんにからんできました。一人は相当いい革ジャンをゴーの上から羽織っていたりして、育ちがいいのかなんなのか、友達なのかなんなのかちょっと不明な感じでして、最初は彼らがたかりに来たのかと思ってしまいました。でも、3人ともやたら話し好きで、ウォンチュックくんが持っていたビジネスウィーク誌を見ながら、日本はどこだ、とかたまたま写真が載っていた Mr.Hashimoto を指して彼はいったいどういう人だとか、日本の車メーカーの名前とか、たわいもない話を延々とやりました。しばらく話したあと、3人組は帰り、ウォンチュックくんも店を片づけはじめました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】お宅におじゃま

そろそろ私も帰ろうかと思った頃、一人の青年が店にやってきました。あとで話を聞いてわかったのですが、彼がエッグ・ロールの店のオーナーのペンジョーくん、20歳。政府に日本留学の申請を出しているという話で、真剣な話をしてしまいました。ブータンの本を私にくれるという話になり、マネしちゃダメですが、彼の家にちょっとだけおじゃますることにしました。

   
 
 

スージャをいただく

 
比較的上流の生活をしている彼は、自家用車を持っていて4階建てのマンション風の建物の一室に家族と住んでいました。上流家庭では普通なのかも知れませんが、居間にはソファーがあり、ビデオ装置もあります。家族の写真がたくさん飾られていました。もうすでに遅い時間なので家族は寝ていました。すみません、深夜におじゃまします。スージャ(バター茶)にするか、ミルクティーにするか?ということで、せっかくなのでスージャを飲むことにしました。スージャは、バターに固形のお茶を溶かしこんだ飲み物で、味は塩バターラーメンのスープという感じです。そんなにきつい味ではないのですが、ゴクゴクは飲めませんでした。お菓子は、ザウという米を炒ったものでした。ブータンではもっとも一般的な、お茶とお茶請けの組み合わせです。彼の家族の話や、写真を見せてもらいました。学生のときにはインドへ留学していたそうで、いまはツアーのガイドの仕事などを経て、店のオーナーをやっているとのことでした。大切な話をたくさんしてくれたペンジョーくんにはお礼の手紙を書かないといけませんね。

帰りに、「History of BHUTAN」を受け取りました。この本はインド人の教師が教師向けに書いたブータンの歴史の本で、ブータン政府の教育省が1980年に発行したものです。映画館脇の本屋でも売っていますが、値段はわかりません。彼の車でホテルに送ってもらったときにはすでに12時を過ぎていました。ノルジン・ラムには街灯が灯っているだけで、本当に静かでした。ホテル・ドゥルックのフロントの人は夜中起きています、と言っていたので安心はしていましたが、ちょっと遅すぎだったようです。私がホテルに帰ると玄関の戸締まりをしていました。

Benjamin (=^o^=)



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