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交差点の警察官 |
朝食後、ホテル・ドゥルック前からバンに乗り、メインストリートのノルジン・ラムを北上します。ノルジン・ラムの交差点の3カ所には警察官が手信号をやっています。今枝由郎氏著の「ブータン
変貌するヒマラヤの仏教王国」(1994年)には、唯一の週刊新聞「クエンセル」誌に、ティンプーに交通信号が設置されたという話が載っていたと紹介されていて、「警察官の肌の暖かみが伝わってくるような、人情味のある手信号は、この本が刷り上がるころには、もう昔の語りぐさになっているのであろうか。」と書かれていますが、幸いかまだ信号機にはなっていませんでした。まだしばらくは、人情味ある手信号が見られそうです。
Benjamin (=^o^=)
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ドゥルック・エアー本社 |
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チャンガンカン・ラカン |
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新しいモティタン・ホテル |
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旧モティタン・ホテル |
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国獣ターキン |
整備された山道を登ると、タシチョ・ゾンの上に出ました。見晴らしのいい場所ですが、昼頃だと逆光になるので、写真撮影には適していないかも知れません。もし来るなら夕方がベストでしょうか。ドチュ・ラと同じようにダルシンという経文の書かれた旗、もしくは、のぼり、といえばいいでしょうか、たくさん立っていて、小さなチョルテンもありました。
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ドゥルットプ尼僧院 |
いよいよ山の裾からタシチョ・ゾンへの道を下りました。冬季はタシチョ・ゾンは僧はプナカ・ゾンに行っているので行政府としてだけ機能しています。そのため政府の業務が終わる午後4時以降は内部を見学することが可能です。昼間は他のゾンと同じで、外観だけの見学となります。タシチョ・ゾンの北側の道路を下っていくと、道の真ん中に信号が見えてきました。1本だけ立っているその信号は点灯していませんでしたが、これが1994年にできたブータン初の信号機なのでしょう。タシチョ・ゾンの北側の入口に立っていました。ティンプー・チュを挟んでタシチョ・ゾンの反対側に、SAARC(南アジア地域協力協議会)の会議場が建っています。ゾンよりも少し北のティンプー・チュには、カンチレバー式の屋根のある木造の橋がかかっていました。
Benjamin (=^o^=)
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パングリ・ザンパ |
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子供たちがいっぱい |
今回は行かれなかったのですが、デチェンチョリンのさらに北、20キロほどいったところが行き止まりになっていて、そこから山を登ったところにタンゴ寺、ツェリ寺の2つの寺があります。ツェリ寺の入口には、伝統的な板葺きのカンチレバー式の新しい橋がかかっているそうです。ツェリ寺は1619年に建立。ツェリ寺の右には13世紀頃建立されたタンゴ寺があるそうです。タンゴ寺は建て直されていますが、それでも現在の形になったのは1688年と古い寺です。余裕があったら行ってみたいところですね。
Benjamin (=^o^=)
南に向かい、デチェンチョリン宮殿の脇を通り、ティンプー・チュの左側に沿って進みました。近くで見るSAARC会議場はとても立派で、ブータン風ながら、すっきりした感じのする建物です。ぜひ中に入ってみたいんですが、やっぱり無理でしょうねぇ。
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ブータン紙の工場 |
ブータン紙の作業場を見学しに行きました。かなり厚手に液をすのこに広げてつくるようです。熱いブリキ缶のようなものに張り付けて軽く乾かしていました。外では、天日で干している紙もたくさんありました。これらのブータン紙は経文を印刷したりするために使うようです。おみやげ用のブータン紙などはエンポリウムという土産物屋で購入できるそうです。女性と男性が一緒に、みなさん黙々と働いていました。
Benjamin (=^o^=)
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道路工事中 |
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ZHIDHEYレストラン |
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オレンジ味のゴールド・スポット |
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上は焼きそば、手前が赤米 |
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モモ |
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大きな唐辛子 |
おっと、大幅に脱線。今日の昼食は、主食の赤米の大盛り、チョーメン(焼きそば)、モモ(チベット風ギョーザ)、角切りジャガイモを揚げたフライドポテト、そしてやってきましたブータンのもっとも一般的な料理、エマダチ。エマダチのエマは唐辛子、ダチはチーズのこと。唐辛子のチーズ煮込みといった料理です。発音は、エマ・ダツィの方が近い、でしょうか。乳白色のソースの中に、どかどか、まるでピーマンのように大きな唐辛子が入っていました。乳白色のソースが、すでに超辛い。むしろ唐辛子の方がまだ辛くないくらいでした。ブータンの唐辛子はあまり辛くないそうで、実際それなりに唐辛子は食べられます。意を決して食べ続けると、結構うまい。料理の雰囲気としては、ココナツ入りのタイカレーのような感じでしょうか。辛いのは辛いのですが、マイルドな雰囲気もあって絶妙です。本来は手で食べるのですが、タン氏もチミー氏も今回はスプーンで食べていました。この文を書いていて、またエマダチが食べたくなってしまいました。モモは、まさにギョーザです。フランソワ・ポマレ氏のガイドブックでは、チベット風ラビオリ、と書いてありましたが、まぁ、そんなようなものですね。ブータンは醤油を使わない国で、モモにつけるものとして、唐辛子のペーストが出てきました。モモは辛くありませんが、このペーストはもちろん相当辛い。赤米とエマダチ以外は、基本的にはチベット料理だと思います。チベット料理を出してくれるレストランはティンプーにたくさんあるようです。チョーメンは醤油での味付けでないので、ちょっと間が抜けた感じでしたが、唐辛子ペーストをちょっと混ぜるとこれはうまい。アドバイスとしては、邪道かも知れませんけれど、レストランで食べるときは、醤油を持ってくるといいかと思います。
Benjamin (=^o^=)
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エンポリウム |
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服屋さん |
衣料品店の反対側が、ブータン銀行の建物です。朝9時から午後1時まで開いています。閉まるのが早いので注意しないといけません。私は両替はホテルでお願いしていたので、結局ブータン銀行には行きませんでした。ホテル・ドゥルックのある時計台広場の北側近くにもブータン銀行の支店がありました。
ノルジン・ラムを南へ下り、交差点を右に曲がると、右に最近立て替えられたホテル・タクツァンが見えました。1階のガラス戸のところには、リニューアル・オープンのときの写真と英文の説明があり、雰囲気と設備のよい中級ホテルのようでした。
ホテル・タクツァンの向こうのちょっと登ったところには、スイス・ベーカリーがありました。電気技師としてやってきたスイス人のマスターが許可をとってはじめたパン屋だそうで、マスターはすでにブータンに帰化してしまったそうです。日曜定休で朝から夕方まで開いています。しゃれた店内は広く、ティールームもいい感じです。ブータンのしゃれた社交場になっているそうな。
Benjamin (=^o^=)
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メモリアル・チョルテン |
チョルテン・ラム、ノルジン・ラムと来た道を戻り、北へ向かいました。国営放送BBSの裏手にある病院に行きました。閑散としていて、また看板もなにもないので病院ということはわかりませんでした。係りの人がいなかったようで、建物の中にも入れず残念でした。
Benjamin (=^o^=)
タシチョ・ゾンに入れる時刻は午後4時以降なので、それまでメインストリートの散歩に出かけました。昼間のノルジン・ラムは活気があり、さすが首都の大通りの風格です。映画館の広場まで来ました。映画館の建物には、いくつかの商店が入っていて、向かって右側にある文房具屋と本屋に入りました。文房具屋は結構意外な品揃えでした。ガラスケースの中には、フロッピーディスクのメディアがいろいろ。パソコンは市内でまったく見かけないのですが、使っている人はやっぱり使っているのでしょう。本屋は、映画館の正面に面しているところが雑誌と新聞を売っています。ブータンの新聞は、週刊の政府広報誌「クエンセル」が毎週土曜日に発行されています。ゾンカ版の他、英語版、ネパール語版があるそうです。英語版の1部の値段は4Nu.。奥の方は、英語のペーパーバック、専門書などがあります。ブータン関係の本もそろっていて、ここで1冊「ブータンの民話」の本を買いました。最近出たばかりの本で、ブータン人の女性が英語で書き下ろしたものです。タイの出版社から1994年初版発行で、450Nu.と非常に高価でした。「ダンボォォォ、ディンボォォォ」ではじまる27編の民話と、11編の伝説が収録されています。手持ちのNu.があまりなかったので、10ドルとの組み合わせで支払いました。面倒な計算を電卓を使って手際よくやってくれた本屋の若者に、ブータン人の賢さと教育のレベルの高さを感じました。ちょっと言い過ぎかも知れませんが、ブータンに関する本が世界で一番そろっている店ではないかと思います。
広場の駐車場の脇にある、きっとブータン唯一のパソコン屋をちょっとのぞいてみました。どちらかというと修理工場の雰囲気ですが、タワー型のIBM互換機があるようでした。隣はビデオ屋です。ティンプーにはビデオレンタルショップがいくつもあり、それぞれとてもにぎわっています。国営のBBSはラジオ放送だけなので、ビデオを借りて主にインド映画を見ています。町中でビデオを見ている人のところに群がっている人たちもいました。ビデオの状態は決してよくはないのですが、熱心に見入っていました。映画館の並びのホテル・タンディンの1階はショッピング・センターになっています。スポーツ用品屋など、専門店もあったりしてさすがティンプーです。こうしたショッピング・センターは他にも3カ所ほどありました。ホテル・タンディンは、九里徳泰・林美砂著の「ブータン自転車旅行」で筆者らが泊まったホテルです。ロケーションは町中のもっともいい場所といえるでしょう。
Benjamin (=^o^=)
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タシチョ・ゾン |
タシチョ・ゾンの起源は、ブータンにドゥルック派の教えを伝えたパジョ・ドゥックゴム・シクポが1216年に建立したド・ンゴン・ゾンだそうです。ド・ンゴンとは青い石の意味だそうですが、いわれはちょっとわかりませんでした。現在のタシチョ・ゾンよりも北東にあり、現在はデチェン・ポダンという僧の学校が立っているそうです。ドゥルットブ尼僧院の北の丘の上に建っていた建物がデチェン・ポダンだったのかも知れません。シムトカ・ゾンなどを建立したシャブドゥン・ガワン・ナムゲルが1641年に立派なゾンに建て直して、名前をタシチョ・ゾンと命名しました。栄光ある宗教の建物というような意味なのだそうです。その後、第三代国王が1955年にティンプーを首都と定めたことで、タシチョ・ゾンはブータンの中心になりました。
ノルジン・ラムを北上すると、官庁街がありました。平屋建ての建物群がそれです。本来は政府機関はすべてタシチョ・ゾンに入っているものなのですが、入りきらない機関はゾンのすぐ南側にある建物に別れているそうです。タシチョ・ゾンの前の駐車場に停めて入口まで徒歩で向かいました。タン氏は、ゴーの懐から白い長い布を出して肩にかけ始めました。くるくると斜めに選挙運動のタスキよろしくかけました。これがカムニというもので、ブータン人が公式な場に出るときには必ずしないといけないものです。政界の長である国王と、宗教界の長であるジェ・ケンポ大僧正は黄色、大臣は濃い赤、ダショーという称号で呼ばれる人は赤、一般庶民は白という具合に、実際にはさらに細かく規定があるそうです。外国人にはこのカムニの規定は適用されませんが、外国人はゴーを着てゾンに入ることは避けるべきなのだそうです。ティンプー・チュに面したところに入口が二つありました。NHKの取材記録「遥かなるブータン」によれば、二つの入口のうち、一つは俗界用、もう一つが宗教界用の入口なのだそうです。つまり、きっと北側が俗界用の入口なのでしょう。ティンプー・チュを挟んで反対側には、SAARC会議場が雄壮な姿を見せていました。
北側の入口の階段を登ると、数人の警備兵が固めていました。タン氏が旅行会社名を告げて事情を話し、ノートに記入するとすぐに通してくれました。石造りの階段を一歩一歩踏みしめながら登ると、すぐにゾンの中庭に出ました。入ってすぐに石畳の広場になっています。ここが秋に開催されるティンプー・ツェチュという祭りの会場になります。ツェチュの期間中は、誰でもゾンの中に入れるのだそうです。広場の真ん中にひときわ高い塔が建っていました。ゾンの広場を取り囲むように建物が建ち渡り廊下状になっていて、それぞれの隅にある建物を繋いでいました。執務時間を終えたとはいえ、あまりに静かでシーンとしています。人の気配はほとんどしない、どこか夕方の学校にも似た風情のするタシチョ・ゾンでした。ここがツェチュのときには大いに盛り上がるのですから、いつかツェチュの季節に訪れたいと思いました。
明日の予定をタン氏に尋ねると、パロに向かう前にチレ・ラという峠に行ってみないかと提案してくれました。パロはティンプーとくらべるとそれほど観光する場所もないので、ゆっくり出発して、チレ・ラに車で登るといい、とのことでした。眺めがいいところなのだそうです。出発も9時過ぎにしました。チレ・ラは、空港のある町パロと、パロの西のハという町の間にある4000mの峠です。
Benjamin (=^o^=)
寂しいもので、もうティンプーでは最後の夜になりました。ホテル・ドゥルックから、夕暮れのノルジン・ラムを抜けて、裏通りをずっと北上してみました。商店街の一番北のはずれに、ミルク・ブースがあります。ティンプーの牛乳はここから供給されているのでしょう。バスのチケット売場のような感じの建物でした。
ノルジン・ラムを一軒一軒の商店をのぞきながら緩やかな坂道を下ってきました。
歩道は水平にできているので、何軒か商店が続くと階段があります。この階段の隙間に汚水が流れるような仕組みになっているので、足下に気をつけないと、汚水の溝に落っこちてしまいます。スイス・ベーカリーのそばに立っていた看板によれば、ティンプーでは下水道のプロジェクトを進めているようで、汚水をふた付きの下水路を通して、処理をしてからティンプー・チュに流すようにするそうです。たくさんの人が住むようになって、衛生設備も整ってきたようです。
Benjamin (=^o^=)
ずっと南に歩き続け、映画館の広場まで下ってきました。今夜もたくさんの人が映画館の前に集まっていました。映画館脇の本屋をのぞき、並びの店を眺めていると、元気のいい少年が威勢良く「エッグ・ロールを食べない?」と言ってきます。最初誰に声をかけているのかと思ったら私でした。ブータンではあまり店の人がこうした声はかけてこないようなので、珍しいなと思いにこやかに「またあとでくるね」と告げておきました。おぼえていてくれたらいいな、と思いつつ。店名は「カバブ・ハウス」というのですが、羊の串焼き(カバブ?)を売っているのではなく、エッグ・ロールの専門店のようでした。
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ホット・アンド・サワー・スープ |
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カバブ・ハウス |
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エッグ・ロール |
カバブ・ハウスの中でウォンチュックくんと話をしていると、ちょっと不良っぽい3人の少年が入ってきてウォンチュックくんにからんできました。一人は相当いい革ジャンをゴーの上から羽織っていたりして、育ちがいいのかなんなのか、友達なのかなんなのかちょっと不明な感じでして、最初は彼らがたかりに来たのかと思ってしまいました。でも、3人ともやたら話し好きで、ウォンチュックくんが持っていたビジネスウィーク誌を見ながら、日本はどこだ、とかたまたま写真が載っていた Mr.Hashimoto を指して彼はいったいどういう人だとか、日本の車メーカーの名前とか、たわいもない話を延々とやりました。しばらく話したあと、3人組は帰り、ウォンチュックくんも店を片づけはじめました。
Benjamin (=^o^=)
そろそろ私も帰ろうかと思った頃、一人の青年が店にやってきました。あとで話を聞いてわかったのですが、彼がエッグ・ロールの店のオーナーのペンジョーくん、20歳。政府に日本留学の申請を出しているという話で、真剣な話をしてしまいました。ブータンの本を私にくれるという話になり、マネしちゃダメですが、彼の家にちょっとだけおじゃますることにしました。
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スージャをいただく |
帰りに、「History of BHUTAN」を受け取りました。この本はインド人の教師が教師向けに書いたブータンの歴史の本で、ブータン政府の教育省が1980年に発行したものです。映画館脇の本屋でも売っていますが、値段はわかりません。彼の車でホテルに送ってもらったときにはすでに12時を過ぎていました。ノルジン・ラムには街灯が灯っているだけで、本当に静かでした。ホテル・ドゥルックのフロントの人は夜中起きています、と言っていたので安心はしていましたが、ちょっと遅すぎだったようです。私がホテルに帰ると玄関の戸締まりをしていました。
Benjamin (=^o^=)