Bhutan flag Bhutan旅行記'95 …前 | 続く…


6日目 12月14日(木)
【Bhutan】民族衣装のゴーを着る

   
 
 

ホテルの前で

 
首都ティンプーの滞在も最後になりました。ホテル・ドゥルックの朝食も、もう日課になってしまいました。今朝の天気も、多少寒い、というくらいで、ずっといい天気が続いています。部屋の窓から外を見ると、ノルジン・ラムの通りの建物から白い煙が緩やかに立ちのぼっていました。

昨晩は久しぶりに夜更かしをしてしまいましたが、今日の出発は遅めなので、ちょうどよかったのかも知れません。荷物を片づけていると、タン氏がにこやかに部屋に入ってきました。昨日買った民族衣装のゴーを着ていこう、ということで、ゴーの着付けを教えてもらいました。

最初に下衣のテゴを着て、その上からゴーを着ます。ゴーとテゴの袖はとても長くできていて、テゴごと手首くらいの長さで折り返します。袖口には15センチほど白いテゴが見えるようになるというわけです。衿の端を左右の身頃の端に合わせてしっかりとつかんでから、上に持ち上げます。これがかなり大変なのです。左右に余っている部分は均等に後ろに折り返して、折り返したひだがきれいに揃うようにします。これがまた大変。なかなかきれいに揃わないのです。ケラという帯をきつく右まわしに巻いて、締め上げ、おはしょりをつくります。ゴーの右衿の端にあるひもを結んで、襟元のテゴを少しだけ折り返してできあがりです。

着た感じは、たくし上げているため、和服よりも歩きやすく、上半身もおはしょりと、とてもゆったりとした身頃なので、とても楽です。懐に本当にたくさんものが入ります。ビデオカメラのバッテリはもちろん、カメラそのものも入ってしまうくらいです。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ティンプーからパロへ出発

ティンプーのホテル・ドゥルックもこれでお別れです。わずか3泊とは思えないほどなじんでしまったホテルでした。ホテルのレセプションでチェックアウトの手続きをし、ランドリーの料金の12Nu.だけを支払いました。その他の手続きはタン氏がやったので、ホテルの宿泊料金は結局不明です。ネパールの本屋で見かけた英語で書かれたアジア地域のガイドブックによると、最高の部屋で1泊あたり1000Nu.ほどとのことです。このガイドブックは、日本の洋書店でも置いてある店がありました。3000円弱ですが、未入手なので詳細はわかりません。

   
 
 

牛の大群

 
ホテルの玄関前には、いつものバンがとまっていて、チミー氏が窓ガラスを拭いていました。タン氏もチミー氏もはじめて会った時から、同じゴーを着ていました。ゴーはあまり洗濯せず、下衣のテゴだけを洗濯するそうです。こうしたあたりは、住んでみないことにはわからないかもしれませんね。

ティンプー・チュの橋を渡り、シムトカへの道を下りました。シムトカの手前で、牛の大群が道路を占拠していて、チミー氏は軽くクラクションを鳴らしながら牛の間をすり抜けました。立体交差の下をくぐり、右手に大きなマニ車を見ながら、国道1号線を直進しました。シムトカの橋の付近では工事をしている人が何人もいました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】チュゾムの3つのチョルテン

   
 
 

チュゾムのチョルテン

 
ブータンに到着してパロからティンプーへ向かったときは真っ暗でしたので、国道1号線の景色ははじめてです。国道は明るい谷を緩やかにインドへの玄関口、プンツォリンまで下っていきます。途中の村で休憩していると、「DRUK EXPRESS」と書かれたバスが走っていきました。たくさんの人が乗っていて、屋根の上の荷物置き場に荷物が積まれていました。このバスはあまり速くなくて、すぐに追い越してしまいました。しばらく行くと左手には水力発電所が見えてきました。

パロ、ハ、プンツォリン、ティンプーの4方向からの交通の要所となっているチュゾムへ来ました。チュゾムの北側で、ティンプー・チュとパロ・チュが合流しています。合流点には3つのチョルテンが建っています。ネパール式、チベット式、ブータン式の3つです。あまり大きなものではなく、川向こうにあるのでかわいい感じに見えました。ブータン式のものが一番新しく、1980年代初頭に建てられたものだそうです。チュゾムの橋の手前にチェックポイントがあります。バスを待っているのかたくさんのブータン人がいました。チェックポイントの建物の北側には、小さなコーヒーショップがあり、看板が出ていました。しばらく手続きのため待った後、鉄橋を渡り、パロへの道を進みました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】パロの谷へ

パロへの道に入ると、谷は狭くなってきました。両側の山がちょっと禿げ山のように荒れた感じになってきました。パロ・チュ(川)に沿って左側をしばらく進み、途中で鉄橋を渡ってチュの右側に道が移るところあたりから、パロの盆地が広がりはじめました。

   
 
 

ボンデ・ファーム

 
農業の盛んなブータンでも、ティンプーはやはり都会といえる町です。しかし、パロはティンプーとは違っていて、地球の歩き方に書いてあるとおり「大農村」といったおもむきの町です。大きな家が田んぼのあちこちに点在していました。商店がいくつかある三叉路を左に曲がるとパロ・チュにかかる立派な鉄橋がありました。鉄橋から数百メートル行ったところで道を左に曲がると、チレ・ラという標高4000mの峠へ向かう、ハへの道になっています。

ハへの道に入ったところからすぐに、急勾配で登りはじめました。登りはじめてすぐのカーブの途中で休憩をお願いして、バンをとめてもらいました。左手にはパロの空港と、その向こうにパロ・ゾンが見えました。パロ・チュが狭い盆地の中心を流れていて、右手の谷にはブータンに半生を尽くした日本人、西岡京治先生が作った実験農場のボンデ・ファームが見えます。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】チレ・ラの手前のお茶屋さん

   
 
 

チレ・ラのお茶屋さん

 
標高2300mのパロの谷から、4000mのチレ・ラまで、1時間半ほどの行程です。道路はよく舗装されていて、すれ違う車も片手に数えられるほどでしたから、順調に登っていきます。カーブが連続するブータンの道路にもどうやら慣れてきたようで、どんどん登って視界が変わるのを楽しめました。1時間ほど登ったところで、お茶屋のあるところで休憩をしました。温かいミルク・ティーを出してもらい、暖まりました。パロの盆地は日中は温かいのですが、もう3500mほどのところに来ているからでしょう、空気がひんやりしています。お茶屋の外には特に看板もなにもありませんでした。表札にはチレ・ラと書いてあったと思いますが、峠まではまだしばらく登らないといけませんでした。

さらに山道を登っていると、途中で女性の3人グループが車をとめました。どうやら帰りにパロまで乗せて欲しいと言っているようでした。我々が峠まで行って、戻ってくるのを待っているのでしょう。北側の道路では、雪が少しだけ積もっているところもあり、いよいよ高いところまで来た、という感じがしてきました。最後の登り道の脇で、ヤクが草を食べているのが見えました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】チレ・ラの3人兄弟

頂上に近いところで森も終わり、道路の右側にチレ・ラを示す大きな道標が建っていました。

   
 
 

峠の道標

 
「CHALELA HIGHEST POINT ON DANTAK ROADS ALTITUDE 3988 MTRS ABOVE MSL」と書かれていました。塗り替えられてまだ新しい感じのきれいで大きな道標です。ちょうど正午頃にチレ・ラ到着となりました。ドチュ・ラもそうでしたが、峠には送電線が通っていました。ブータンの貴重な輸出品のひとつである電気は、こうして多くの峠を超えてインドまで運ばれているのでしょう。天気はとてもよく、空気が澄みわたっていて、チョモラリが白い頂を見せていました。峠にはダルシンが山頂に向かって並んで建っていて、静かに風が吹き抜けていました。峠のすぐ脇に1軒だけ家があり、その3人兄弟が出てきました。近くには川もなにもないのですが、なにをして暮らしているのでしょうか。

   
 
 

峠の兄弟

 
ぼーっと山を眺めていると兄弟の一番小さな子がノタノタやってきました。そんなに愛想がいいわけではないのですが、かすかな笑顔がすてきでした。道標の近くに詰まれた土嚢のところに兄弟が揃って座っていました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】チレ・ラからパロへ

チレ・ラを後にして、来た道を戻ることにしました。

   
 
 

チョモラリ

 
チョモラリを背景にして写真を撮る場合は、道標のある峠から、ダルシンの建っている山頂までさらに登るか、もしくはちょっと下がったところに車を止めてとるのがいいかと思います。道標がある峠のところからだと、送電線が写ってしまいます。ガイドのタン氏は車の中で寝込んでいましたので、頂上まで登るのはやめて、下り道の途中でドライバーのチミー氏に写真を撮ってもらいました。ブータンの記念の1枚になりました。正午頃にちょうどチョモラリ方向が順光になります。

下り道の左側から外を見ていると、崖の中腹に寺院が見えました。名前などはわかりませんでした。そこまでどうやって登るのかという場所にあります。こうした崖の中腹の寺院というのはブータンにいくつもあるのかもしれません。明日予定しているタクツァン僧院は、山の中腹の崖に建っていて、チレ・ラからも見ることができます。チミー氏に教えてもらってやっとわかりましたが、豆粒どころか、ゴマ粒くらいにしか見えません。

パロへの下り道の途中で、先ほどの女性3人グループをピックアップして、後部座席に乗せました。彼女達は、パロの町の手前で降りていきました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】パロのホテル

   
 
 

パロ・ゾン遠景

 
パロの盆地に降りてくると、気温もだいぶ上がり暖かい感じです。さすがにプナ カほどではないのですが、最初にパロ空港に着いたときのような肌寒さはあまり 感じませんでした。パロの町へは、パロ・チュからだいぶ離れて、山の裾野をた どるような道をくねくねと進みました。道が三叉路に突き当たりました。

「WELCOME TO HOTEL OLATHANG」と書かれている看板が見えました。ここから左 に曲がって山道を進めば、今夜宿泊予定のホテル・オラタンなのでしょう。まず は昼食をとるということで、右に曲がり、田んぼの中を突っ切り、パロの町の中 心へ進みました。

パロには、現在3つのホテルがあります。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】パロの市街へ

すべて2階建ての整った建物が並ぶパロの市街に入りました。最初に目に付くのは右側にある広場ですが、単に広場があるだけでこれといった目につくものはありませんでした。市街地のちょうど真ん中あたりで、バンがとまりました。朝からずっと寝込んでいたタン氏もようやく起き出して、なんか妙に元気な感じでした。

   
 
 

レストラン
SONAM TROPHEL

 
道の東側に建っているブータン銀行の2階のレストランに入っていきました。「SONAM TROPHEL」という大きな看板が外に掲げてありました。建物の右側の階段はコンクリート製で、建物の裏手、パロ・チュの方向にどうやらウォンディポダンで見た公衆便所と同じようなものがあります。よく見てみると、やっぱりそのようでした。公衆便所を見るのはこれで3個目。ティンプーのメモリアル・チョルテンの敷地内、裏手の方にあります。メモリアル・チョルテンの公衆便所も利用させていただきましたが、パロの公衆便所は外観のみの見学に勝手にさせていただきました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】パロのレストランで昼食を

   
 
 

レストランの中

 
レストランは、木の温もりが感じられるすてきな作り。4人がけのテーブルが全部で4つありました。冷蔵庫も完備している近代的なレストランです。入って席に座っていると、なにやら日本語が聞こえてきました。どうやら日本から仕事で派遣されている方々のようです。3人の日本人と、日本語がわからないというそぶりのブータン人1人で食事をしていました。こんにちは、と声をかけようかと思ったのですが、どうもあまりご機嫌がいいような話題ではなかったようなので、やめておきました。

チミー氏の話では、このレストランがパロで一番おいしいとのことでした。日本人もみな食べに来るそうです。フランソワーズ氏の英語のブータンのガイドでは、「The Camall」という広場に面したレストランが「広場に面した小さなレストラン The Camall ではブータン料理、インド料理、中華料理が手頃な値段で食べられ、平凡だが清潔です」とパロで唯一紹介されています。店名はチェックしていなかったのですが、広場の北側にレストランがありましたので、そこのことかもしれません。雰囲気としては、SONAM TROPHELの方が良さそうに思いました。

   
 
 

結構マイルド

 
   
 
 

角切りポテト

 

のどが渇いたので、水を飲もうと思ったのですが、ちょっと安全のため、気休めかもしれませんがお湯をもらいました。食事の内容は、基本的にはティンプーのレストランの昼食と同じような系統です。赤米のご飯、エマダチ、チョーメン、モモ、揚げた角切りポテトといったものでした。ここのモモはふつうの餃子の格好をしています。ティンプーで食べたモモは小さなマンジュウ型でした。どちらもモモはおいしかったです。唐辛子ソースはいつもながら出てきましたが、特筆すべきはキッコーマンの醤油が出てきたこと。現地で働く日本人はみなここで食事をするらしく、希望に応えてか、醤油を用意しているらしいのです。タイからの輸入品でした。

エマダチは比較的マイルドで、食が進みました。ずっと寝ていたタン氏もここぞとばかり食べまくっていました。それをチミー氏が「彼は病気なんだ」といいます。でも病気の人ととは思えない食べまくり方でした。ブータン人は一般に大食だと紹介されています。食べるスピードも量もすごいらしいのです。チミー氏はそれほど大食でもありませんでしたが、タン氏はドカドカと食べていました。食後にインスタント・コーヒーをいただき、なかなか満足のいく昼食でした。モモの醤油があったこともポイントでしょう。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ドンツェ・ラカン

   
 
 

ドンツェ・ラカン

 
バンに乗り込み、パロの北側から国立博物館になっているタ・ゾンに向かいました。パロ・チュはパロの市街地の裏手あたりで、パロ・チュとド・チュの2つの川が合流しています。パロ・チュにかかる橋を渡ると、左手にドンツェ・ラカンが見えてきました。

ドンツェ・ラカンは、チョルテンのような丸い屋根をした変わった建築の寺院です。こうした建築物は、ティンプーのメモリアル・チョルテン以外にはないそうです。ドンツェ・ラカンは、1421年にタントン・ギャルポによって建立されました。タントン・ギャルポは、パロに鉄を探しに来て、8つの橋を架けたそうです。その後、チベットに鉄を持っていき、たくさんの鉄橋を造った偉人として有名です。チャグザンパ(鉄橋を造った人)、またはドゥルットプ(悟りを開いた人)という別名もある有名な僧なのだそうです。ティンプーの尼僧院のドゥルットプ尼僧院は、タントン・ギャルポの名前にちなんでいるわけです。

ドンツェ・ラカンの中には、多くの壁画がありぜひ見たいものばかりなのですが、残念ながら外国人には公開されていません。内部の詳細については、後藤多聞氏著の「遥かなるブータン」5章3節「ゾンに秘められた歴史」に書かれています。1841年に25代ジェ・ケンポ大僧正によって壁画を修復したそうですが、建物は建立当時のままをとどめています。田んぼの中にさりげなく建っているドンツェ・ラカンの脇をバンで走り抜けました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】国立博物館のタ・ゾン

   
 
 

パロの谷を見下ろす

 
しばらくド・チュに沿って狭い道を進んでいきます。だいぶ行きすぎたところに狭い橋が架かっていて、やっとド・チュを渡りました。タ・ゾンの方向へ山をちょっとだけ登り道を進みました。途中でパロの盆地を見下ろせるところに車を止めて小休止しました。ド・チュ沿いの田んぼや家がずっと見えて、いい眺めです。

   
 
 

国立博物館(タ・ゾン)

 
舗装された道を進み、門をくぐると国立博物館になっているタ・ゾンに到着しました。火曜日〜土曜日は9〜16時、日曜日は11時〜16時、月曜日と祝日はお休みです。拝観料が必要かどうかはわかりませんでしたが、いるのではないかと思います。今回はガイドが手続きをしていました。館内は、照明が一切消されていて、窓からの光だけしかありません。懐中電灯を持っていった方がいいでしょう。館内は撮影禁止になっています。何層もの構造になっていて、一番上の層にはブータンが発行した切手がたくさん並んでいます。ティンプーの郵便局にも展示があったのですが、こちらの方がたくさんあるようです。

ブータンの切手は、国際社会への参加や、貴重な外貨獲得の手段として、重要な位置を占めています。私がブータンという国を知ったのも、変わった記念切手からでした。音の出る切手(ソノ・シートになっています)や、3Dで立体的に見える切手、ホログラムを使った切手、などの素材が変わっている切手。ミッキーマウスなどのブータンとはまったく関係ないデザインのものや、世界の美術品、ブータン自身は参加しなかったオリンピックなど国際イベントなどをモチーフにした切手。そしてブータンの王室や、伝統、文化に基づく美しい切手があります。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】タ・ゾンからパロ・ゾンへ

   
 
 

タ・ゾンから降りる

 
タ・ゾンから車でホテルへ戻る、ということだったので、タ・ゾンからパロ・ゾンまで歩いて坂を下りたい、とお願いしました。チミー氏には先にパロ・ゾンの入口に行ってもらいました。ブータンに行ってやってみたかったことのひとつは、この坂をパロの盆地を眺めながら下ることでした。坂といっても単なるがけがあるだけで、タ・ゾンの低い塀を乗り越えて、雑草の生える坂を下りました。パロ・ゾンはすぐ下に見え、四角い壁の中に塔が建っている構造がよくわかりました。

   
 
 

パロ・ゾンを見下ろす

 
パロ・ゾンの正式な名前はリンプン・ゾンといいます。リンプンとは宝石の山という意味で、1646年に建てられ、1907年に火災に遭って消失し、再建したものが現在のゾンです。北側に入口がひとつだけありますが、中に入ることはできません。春に開催されるパロ・ツェチュはブータン最大の祭りで、大いににぎわうそうです。このゾンの内部、及びゾンの下にかかるカンチレバー式の古い橋は、ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「リトル・ブッダ」でロケーションしたところです。昨年春に日本の民放TVドキュメンタリーでもパロ・ツェチュが紹介されていました。

   
 
 

マニ車を回す女性

 
パロ・ゾンの南側はデヤンカ広場になっていて、石畳の道などがある気分のいい場所です。パロ・チュにかかる橋の袂には穴が開いていて、その中にマニ車が入っています。たいていのブータン人はこのマニ車をまわして橋を渡り、渡り終わったところでまたまわします。橋の袂の両側の柱にあるので、合計4個あるわけです。熱心なブータン人はすべてのマニ車をまわしていました。

橋を渡ると、チョルテンが道の真ん中に建っていて、柳の並木がパロの町まで続いています。なぜか、まだチミー氏のバンが来ていないようなので、ゆっくり並木を歩いて行きました。中程まで来たところで向こうからバンがやってきました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ホテル・オラタンへ

   
 
 

ホテルの看板

 
バンに乗り、今日のパロでの宿泊先、ホテル・オラタンに向かいました。ホテルの看板のある三叉路を進み、丘を緩やかに登りました。右手に建設現場があり、立派な建物を建てていました。ホテルを建てているのかな、と思ったのですが、チミー氏の説明によれば病院なのだそうです。

ホテル・オラタンは市街地から約3キロ。ちょっと歩けない距離かもしれません。丘の上のホテル・オラタンは、すてきなリゾートホテルの趣でした。広々とした庭の端の方にいくつものコテージが見えます。大きな建物が2つあり、ひとつがホテルの本館、もう一つがレストランと宴会場の建物です。

   
 
 

ホテル・オラタンの部屋

 
ゆったりとしたスケジュールでしたが、もう4時近くになっていました。チェックインを済ませると、ホテルの係員の女性がコテージの方に案内してくれました。入口の鍵は、巨大な南京錠で、まるで投獄されるような気分が一瞬しましたが、部屋の中はすばらしいものでした。木の温もりの落ち着いた雰囲気で、ブータン風のカーテン、調度品もいい感じです。部屋はツインになっていて、応接セットが置いてあってもまだまだ余裕たっぷりの広さ。さらに、バスルームの前にドレッシングスペースもあり、バスルームは標準的な広さだったものの、シャワーの出はきっとブータンで一番でしょう。お湯そのものは他のホテルと同じく電気湯沸器によるので、たくさん使うとお湯がなくなってしまうとは思いますが、町から遠いというロケーションはともかく、是非泊まってもらいたいホテルのひとつとしておすすめしておきます。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ビデオで映画を見る

   
 
 

夜のパロの街

 
タン氏が、パロにいって映画を見ないか、と誘ってきました。ブータンでは、映画館はティンプーにしかなく、地方では出張上映の形でしか上映しないと聞いています。どうするのか、と思いながらも行くことにしました。

バンに乗って、パロの町に出ると、タン氏は案の定レンタルビデオ屋に入っていきました。しばらくしてビデオテープを持ってタン氏が出てくると、今度は別のレストランとおぼしき店に入りました。うう、怪しいなぁ、と思いながらも待っていると、タン氏と一緒に2階に案内されました。入ってすぐ左にテレビとビデオが置いてある部屋があり、どうやらビデオ観賞用のボックスのようです。後ろから子供たちがついてきたりしました。テレビもビデオも性能が十分とはいえない状態でしたが、ブータンまで来てこんなことやっている旅行者っているんだろうか、と考え込んでしまいました。ビデオ、テレビとも日本製。電源が不安定なのか、電源の安定器(スタビライザー)が接続していました。見ている途中で、1回停電がありました。電力供給はまだまだなのかも知れません。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ホテル・オラタンでの夕食

   
 
 

ホテルの小食堂

 
外に出るともう真っ暗。通りに街灯は少なく、とても暗い感じです。あらためてティンプーは都会だったのだ、と思いました。バンでホテル・オラタンに戻り、そのままホテルのレストランに夕食を食べに行きました。本館の並びにある建物にレストラン、バー、宴会場があります。ガイドブックなどでは、夕食はビュッフェスタイルだと書かれていますが、このときは客が少なかったせいか、飲み物以外は特に注文を受けるでもなく、ひとつのプレートに肉やら野菜やらが乗った食事でした。一通り食べられるものばかりですが、あまりおいしいとはいえず、食事に関してはホテル・オラタンはうまくないかもしれません。部屋がいいだけにがんばってもらいたいですね。もうちょっと観光客のいる時期にくるとよかったのかも。ティンプーでは、夕食、朝食とも私一人でとりましたが、ホテル・オラタンではタン氏と一緒でした。ちなみにメニューの内容もタン氏と一緒でした。ビールを頼んで乾杯しました。

食事がはじまってしばらくしてから、レストランに外国人が2人別々に入ってきました。あやふやな記憶では、ドゥルック・エアーのエンジニアとして働いているA氏と、電力関係の技師として働いているB氏でした。彼らは私のものとは違うメニューを頼んでいましたが、毎日食べるものがないので別のものを頼んでいる、という表情でした。

A氏はやたら話好きで、ブータンをどう思うかとか、ブータンにいる日本人は仲間だけで集まっていて、他の外国人が一緒にいて話もしないがなぜかとか、難しい質問をたくさんされてしまいました。A氏は屈託のない方で、ホテルのウェイターに「何でこのレストランには温風ヒーターが1個しかないのか。ブータンは寒いんだから。部屋には2個あるぞ。」などと文句を言ったりしていました。A氏に言わせると「パロには本当になにもないので、退屈しきっている。」とのこと。なんとなく、気持ちが分かるような気もしましたが。旅行でちょっと訪れるのと住むのとでは、ちょっと考えただけでも大違いだと思いました。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ホテル・オラタンのバーにて/1

一旦、部屋に戻ってひと息ついてから、ホテルのバーに行きました。A氏はすでに来ていて、バーテンをからかっていました。バーは広々としていて、落ち着いたインテリアです。カウンターの席もあり、私はとりあえずカウンターに座りました。

   
 
 

ホテルのバー

 
先ほどウェイターをやっていたひとも含めて、3人のホテルの人がバーにいました。バーテンは、A氏に「ノア」と呼ばれていたおじさんですが、本名は違います。A氏が、「簡単に、ノアの箱船のノアって呼べばいいんだよ」というので、まぁ気にしないことにして。当のノアさんも、毎日のことなのか気にしていない様子でした。ここからの話は酒の上のことなので、冗談なのか本当なのかは全くわかりませんのであしからず。

今日は、ブータンの「ブラック・マウンテン・ウィスキー」を出してもらいました。水割りにしてもらおうと思い、ミネラルウォーターを注文すると、A氏が「ミネラルウォーターなんか飲むと、病気になるぞ」と脅かしてきました。本当かどうか、と聞くと、ミネラルウォーターを飲んでいる人は、結構ブツブツができて病気になっちゃう、のだそうです。まぁ、それでもいままで何本も飲んでしまいましたから、ミネラルウォーターは出してもらいましたけれども。 このウィスキーは、「ビー、マイ、ワイフ」と呼ぶんだそうです。Black Mountain Whiskey の頭文字から、Be My Wife なんだそうで。ホテルの人もにこにこしていましたから、冗談でもないかも。

ブラック・マウンテンというのは、ウォンディポダンの西にある深いみどりに覆われた山のことで、外国人だけでなくブータン人もその山のことをブラック・マウンテンと呼ぶのだそうです。

Benjamin (=^o^=)


【Bhutan】ホテル・オラタンのバーにて/2

A氏を相手に、今回の旅行の話をはじめてみました。ウォンディポダンからティンプーへの帰り道にサルを見た、という話をしたところ、「それは幸運の印なんだ」とのこと。サルそのものはあまり珍しくはないと思うんですけど、ブータンのサルが見られてよかったなぁ、と思いました。

   
 
 

落ち着いたバー

 
それから、ブータンの野良犬の話。多すぎる野良犬をどうしようか、という話になり、A氏は輸出しちゃえば、と言いました。ペットとしても結構かわいいかも、と私が同調すると、「いや、違う。食べるんだよ。」と冗談めかして言いました。もちろん、殺生を嫌うブータン人がいやがる話とわかっていてA氏が言っているわけですけど。A氏の奥さんはシンガポールの華僑なのだそうで、「犬は食べるとおいしいんだぞ〜〜」とブータン人に追い打ちをかけていました。私はまだ犬は食べたことはないので、食べるのは御免だなぁ、という感じでしたが。

その後は、定番かどうかは知りませんが、それぞれのブータン人の奥さんの話。いまは少ないのですが、ブータンでは一夫多妻が一般的であった国です。まじめな話で、現国王には4人のお后がいます。お后は姉妹なのだそうで、一般の一夫多妻の場合も姉妹のところに婿入りする形式が多いと書かれているのを読んだことがあります。ホテルのバーテンをはじめ、3人のブータン人は、みな一人の奥さんしかいない、と言っていました。経済的に大変なんだ、というのが理由だと言っていましたが。でも、若い奥さんが欲しい、とかその手の話を延々とやっていました。

彼らの年齢はちょっと不明。35歳、と言われても本当にそうなのか、わかりません。ブータン人は一般に年齢が上に見えるのかも知れませんし、もしかすると彼らの年齢の数え方が違うのかも知れないですね。

本当はバーの閉店は10時頃なのだと思うのですが、すでに11時近くになってしまっていました。バーを後にして、ホテルの敷地を散歩しました。さすがに夜風は冷えていました。星空が松林の向こうに見えました。ホテルの敷地は街灯がいくつも点灯していて、とてもいい雰囲気でした。

静かな、パロの夜を満喫できました。

Benjamin (=^o^=)



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