ホテルの前で |
昨晩は久しぶりに夜更かしをしてしまいましたが、今日の出発は遅めなので、ちょうどよかったのかも知れません。荷物を片づけていると、タン氏がにこやかに部屋に入ってきました。昨日買った民族衣装のゴーを着ていこう、ということで、ゴーの着付けを教えてもらいました。
最初に下衣のテゴを着て、その上からゴーを着ます。ゴーとテゴの袖はとても長くできていて、テゴごと手首くらいの長さで折り返します。袖口には15センチほど白いテゴが見えるようになるというわけです。衿の端を左右の身頃の端に合わせてしっかりとつかんでから、上に持ち上げます。これがかなり大変なのです。左右に余っている部分は均等に後ろに折り返して、折り返したひだがきれいに揃うようにします。これがまた大変。なかなかきれいに揃わないのです。ケラという帯をきつく右まわしに巻いて、締め上げ、おはしょりをつくります。ゴーの右衿の端にあるひもを結んで、襟元のテゴを少しだけ折り返してできあがりです。
着た感じは、たくし上げているため、和服よりも歩きやすく、上半身もおはしょりと、とてもゆったりとした身頃なので、とても楽です。懐に本当にたくさんものが入ります。ビデオカメラのバッテリはもちろん、カメラそのものも入ってしまうくらいです。
Benjamin (=^o^=)
ティンプーのホテル・ドゥルックもこれでお別れです。わずか3泊とは思えないほどなじんでしまったホテルでした。ホテルのレセプションでチェックアウトの手続きをし、ランドリーの料金の12Nu.だけを支払いました。その他の手続きはタン氏がやったので、ホテルの宿泊料金は結局不明です。ネパールの本屋で見かけた英語で書かれたアジア地域のガイドブックによると、最高の部屋で1泊あたり1000Nu.ほどとのことです。このガイドブックは、日本の洋書店でも置いてある店がありました。3000円弱ですが、未入手なので詳細はわかりません。
牛の大群 |
ティンプー・チュの橋を渡り、シムトカへの道を下りました。シムトカの手前で、牛の大群が道路を占拠していて、チミー氏は軽くクラクションを鳴らしながら牛の間をすり抜けました。立体交差の下をくぐり、右手に大きなマニ車を見ながら、国道1号線を直進しました。シムトカの橋の付近では工事をしている人が何人もいました。
Benjamin (=^o^=)
チュゾムのチョルテン |
パロ、ハ、プンツォリン、ティンプーの4方向からの交通の要所となっているチュゾムへ来ました。チュゾムの北側で、ティンプー・チュとパロ・チュが合流しています。合流点には3つのチョルテンが建っています。ネパール式、チベット式、ブータン式の3つです。あまり大きなものではなく、川向こうにあるのでかわいい感じに見えました。ブータン式のものが一番新しく、1980年代初頭に建てられたものだそうです。チュゾムの橋の手前にチェックポイントがあります。バスを待っているのかたくさんのブータン人がいました。チェックポイントの建物の北側には、小さなコーヒーショップがあり、看板が出ていました。しばらく手続きのため待った後、鉄橋を渡り、パロへの道を進みました。
Benjamin (=^o^=)
パロへの道に入ると、谷は狭くなってきました。両側の山がちょっと禿げ山のように荒れた感じになってきました。パロ・チュ(川)に沿って左側をしばらく進み、途中で鉄橋を渡ってチュの右側に道が移るところあたりから、パロの盆地が広がりはじめました。
ボンデ・ファーム |
ハへの道に入ったところからすぐに、急勾配で登りはじめました。登りはじめてすぐのカーブの途中で休憩をお願いして、バンをとめてもらいました。左手にはパロの空港と、その向こうにパロ・ゾンが見えました。パロ・チュが狭い盆地の中心を流れていて、右手の谷にはブータンに半生を尽くした日本人、西岡京治先生が作った実験農場のボンデ・ファームが見えます。
Benjamin (=^o^=)
チレ・ラのお茶屋さん |
さらに山道を登っていると、途中で女性の3人グループが車をとめました。どうやら帰りにパロまで乗せて欲しいと言っているようでした。我々が峠まで行って、戻ってくるのを待っているのでしょう。北側の道路では、雪が少しだけ積もっているところもあり、いよいよ高いところまで来た、という感じがしてきました。最後の登り道の脇で、ヤクが草を食べているのが見えました。
Benjamin (=^o^=)
頂上に近いところで森も終わり、道路の右側にチレ・ラを示す大きな道標が建っていました。
峠の道標 |
峠の兄弟 |
Benjamin (=^o^=)
チレ・ラを後にして、来た道を戻ることにしました。
チョモラリ |
下り道の左側から外を見ていると、崖の中腹に寺院が見えました。名前などはわかりませんでした。そこまでどうやって登るのかという場所にあります。こうした崖の中腹の寺院というのはブータンにいくつもあるのかもしれません。明日予定しているタクツァン僧院は、山の中腹の崖に建っていて、チレ・ラからも見ることができます。チミー氏に教えてもらってやっとわかりましたが、豆粒どころか、ゴマ粒くらいにしか見えません。
パロへの下り道の途中で、先ほどの女性3人グループをピックアップして、後部座席に乗せました。彼女達は、パロの町の手前で降りていきました。
Benjamin (=^o^=)
パロ・ゾン遠景 |
「WELCOME TO HOTEL OLATHANG」と書かれている看板が見えました。ここから左 に曲がって山道を進めば、今夜宿泊予定のホテル・オラタンなのでしょう。まず
は昼食をとるということで、右に曲がり、田んぼの中を突っ切り、パロの町の中 心へ進みました。
パロには、現在3つのホテルがあります。
ホテル・オラタン |
ホテル・ドゥルック |
キチュ・リゾート |
Benjamin (=^o^=)
すべて2階建ての整った建物が並ぶパロの市街に入りました。最初に目に付くのは右側にある広場ですが、単に広場があるだけでこれといった目につくものはありませんでした。市街地のちょうど真ん中あたりで、バンがとまりました。朝からずっと寝込んでいたタン氏もようやく起き出して、なんか妙に元気な感じでした。
レストラン |
Benjamin (=^o^=)
レストランの中 |
チミー氏の話では、このレストランがパロで一番おいしいとのことでした。日本人もみな食べに来るそうです。フランソワーズ氏の英語のブータンのガイドでは、「The
Camall」という広場に面したレストランが「広場に面した小さなレストラン The Camall ではブータン料理、インド料理、中華料理が手頃な値段で食べられ、平凡だが清潔です」とパロで唯一紹介されています。店名はチェックしていなかったのですが、広場の北側にレストランがありましたので、そこのことかもしれません。雰囲気としては、SONAM
TROPHELの方が良さそうに思いました。
結構マイルド |
角切りポテト |
のどが渇いたので、水を飲もうと思ったのですが、ちょっと安全のため、気休めかもしれませんがお湯をもらいました。食事の内容は、基本的にはティンプーのレストランの昼食と同じような系統です。赤米のご飯、エマダチ、チョーメン、モモ、揚げた角切りポテトといったものでした。ここのモモはふつうの餃子の格好をしています。ティンプーで食べたモモは小さなマンジュウ型でした。どちらもモモはおいしかったです。唐辛子ソースはいつもながら出てきましたが、特筆すべきはキッコーマンの醤油が出てきたこと。現地で働く日本人はみなここで食事をするらしく、希望に応えてか、醤油を用意しているらしいのです。タイからの輸入品でした。
エマダチは比較的マイルドで、食が進みました。ずっと寝ていたタン氏もここぞとばかり食べまくっていました。それをチミー氏が「彼は病気なんだ」といいます。でも病気の人ととは思えない食べまくり方でした。ブータン人は一般に大食だと紹介されています。食べるスピードも量もすごいらしいのです。チミー氏はそれほど大食でもありませんでしたが、タン氏はドカドカと食べていました。食後にインスタント・コーヒーをいただき、なかなか満足のいく昼食でした。モモの醤油があったこともポイントでしょう。
Benjamin (=^o^=)
ドンツェ・ラカン |
ドンツェ・ラカンは、チョルテンのような丸い屋根をした変わった建築の寺院です。こうした建築物は、ティンプーのメモリアル・チョルテン以外にはないそうです。ドンツェ・ラカンは、1421年にタントン・ギャルポによって建立されました。タントン・ギャルポは、パロに鉄を探しに来て、8つの橋を架けたそうです。その後、チベットに鉄を持っていき、たくさんの鉄橋を造った偉人として有名です。チャグザンパ(鉄橋を造った人)、またはドゥルットプ(悟りを開いた人)という別名もある有名な僧なのだそうです。ティンプーの尼僧院のドゥルットプ尼僧院は、タントン・ギャルポの名前にちなんでいるわけです。
ドンツェ・ラカンの中には、多くの壁画がありぜひ見たいものばかりなのですが、残念ながら外国人には公開されていません。内部の詳細については、後藤多聞氏著の「遥かなるブータン」5章3節「ゾンに秘められた歴史」に書かれています。1841年に25代ジェ・ケンポ大僧正によって壁画を修復したそうですが、建物は建立当時のままをとどめています。田んぼの中にさりげなく建っているドンツェ・ラカンの脇をバンで走り抜けました。
Benjamin (=^o^=)
パロの谷を見下ろす |
国立博物館(タ・ゾン) |
ブータンの切手は、国際社会への参加や、貴重な外貨獲得の手段として、重要な位置を占めています。私がブータンという国を知ったのも、変わった記念切手からでした。音の出る切手(ソノ・シートになっています)や、3Dで立体的に見える切手、ホログラムを使った切手、などの素材が変わっている切手。ミッキーマウスなどのブータンとはまったく関係ないデザインのものや、世界の美術品、ブータン自身は参加しなかったオリンピックなど国際イベントなどをモチーフにした切手。そしてブータンの王室や、伝統、文化に基づく美しい切手があります。
Benjamin (=^o^=)
タ・ゾンから降りる |
パロ・ゾンを見下ろす |
マニ車を回す女性 |
橋を渡ると、チョルテンが道の真ん中に建っていて、柳の並木がパロの町まで続いています。なぜか、まだチミー氏のバンが来ていないようなので、ゆっくり並木を歩いて行きました。中程まで来たところで向こうからバンがやってきました。
Benjamin (=^o^=)
ホテルの看板 |
ホテル・オラタンは市街地から約3キロ。ちょっと歩けない距離かもしれません。丘の上のホテル・オラタンは、すてきなリゾートホテルの趣でした。広々とした庭の端の方にいくつものコテージが見えます。大きな建物が2つあり、ひとつがホテルの本館、もう一つがレストランと宴会場の建物です。
ホテル・オラタンの部屋 |
Benjamin (=^o^=)
夜のパロの街 |
バンに乗って、パロの町に出ると、タン氏は案の定レンタルビデオ屋に入っていきました。しばらくしてビデオテープを持ってタン氏が出てくると、今度は別のレストランとおぼしき店に入りました。うう、怪しいなぁ、と思いながらも待っていると、タン氏と一緒に2階に案内されました。入ってすぐ左にテレビとビデオが置いてある部屋があり、どうやらビデオ観賞用のボックスのようです。後ろから子供たちがついてきたりしました。テレビもビデオも性能が十分とはいえない状態でしたが、ブータンまで来てこんなことやっている旅行者っているんだろうか、と考え込んでしまいました。ビデオ、テレビとも日本製。電源が不安定なのか、電源の安定器(スタビライザー)が接続していました。見ている途中で、1回停電がありました。電力供給はまだまだなのかも知れません。
Benjamin (=^o^=)
ホテルの小食堂 |
食事がはじまってしばらくしてから、レストランに外国人が2人別々に入ってきました。あやふやな記憶では、ドゥルック・エアーのエンジニアとして働いているA氏と、電力関係の技師として働いているB氏でした。彼らは私のものとは違うメニューを頼んでいましたが、毎日食べるものがないので別のものを頼んでいる、という表情でした。
A氏はやたら話好きで、ブータンをどう思うかとか、ブータンにいる日本人は仲間だけで集まっていて、他の外国人が一緒にいて話もしないがなぜかとか、難しい質問をたくさんされてしまいました。A氏は屈託のない方で、ホテルのウェイターに「何でこのレストランには温風ヒーターが1個しかないのか。ブータンは寒いんだから。部屋には2個あるぞ。」などと文句を言ったりしていました。A氏に言わせると「パロには本当になにもないので、退屈しきっている。」とのこと。なんとなく、気持ちが分かるような気もしましたが。旅行でちょっと訪れるのと住むのとでは、ちょっと考えただけでも大違いだと思いました。
Benjamin (=^o^=)
一旦、部屋に戻ってひと息ついてから、ホテルのバーに行きました。A氏はすでに来ていて、バーテンをからかっていました。バーは広々としていて、落ち着いたインテリアです。カウンターの席もあり、私はとりあえずカウンターに座りました。
ホテルのバー |
今日は、ブータンの「ブラック・マウンテン・ウィスキー」を出してもらいました。水割りにしてもらおうと思い、ミネラルウォーターを注文すると、A氏が「ミネラルウォーターなんか飲むと、病気になるぞ」と脅かしてきました。本当かどうか、と聞くと、ミネラルウォーターを飲んでいる人は、結構ブツブツができて病気になっちゃう、のだそうです。まぁ、それでもいままで何本も飲んでしまいましたから、ミネラルウォーターは出してもらいましたけれども。 このウィスキーは、「ビー、マイ、ワイフ」と呼ぶんだそうです。Black Mountain Whiskey の頭文字から、Be My Wife なんだそうで。ホテルの人もにこにこしていましたから、冗談でもないかも。
ブラック・マウンテンというのは、ウォンディポダンの西にある深いみどりに覆われた山のことで、外国人だけでなくブータン人もその山のことをブラック・マウンテンと呼ぶのだそうです。
Benjamin (=^o^=)
A氏を相手に、今回の旅行の話をはじめてみました。ウォンディポダンからティンプーへの帰り道にサルを見た、という話をしたところ、「それは幸運の印なんだ」とのこと。サルそのものはあまり珍しくはないと思うんですけど、ブータンのサルが見られてよかったなぁ、と思いました。
落ち着いたバー |
その後は、定番かどうかは知りませんが、それぞれのブータン人の奥さんの話。いまは少ないのですが、ブータンでは一夫多妻が一般的であった国です。まじめな話で、現国王には4人のお后がいます。お后は姉妹なのだそうで、一般の一夫多妻の場合も姉妹のところに婿入りする形式が多いと書かれているのを読んだことがあります。ホテルのバーテンをはじめ、3人のブータン人は、みな一人の奥さんしかいない、と言っていました。経済的に大変なんだ、というのが理由だと言っていましたが。でも、若い奥さんが欲しい、とかその手の話を延々とやっていました。
彼らの年齢はちょっと不明。35歳、と言われても本当にそうなのか、わかりません。ブータン人は一般に年齢が上に見えるのかも知れませんし、もしかすると彼らの年齢の数え方が違うのかも知れないですね。
本当はバーの閉店は10時頃なのだと思うのですが、すでに11時近くになってしまっていました。バーを後にして、ホテルの敷地を散歩しました。さすがに夜風は冷えていました。星空が松林の向こうに見えました。ホテルの敷地は街灯がいくつも点灯していて、とてもいい雰囲気でした。
静かな、パロの夜を満喫できました。
Benjamin (=^o^=)